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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』62:片平親綱との約束

『伊達日記』62:片平親綱との約束

原文

一片平助右衛門二月廿日比飛脚を越申され候而。少用候間会申度由申され候間。其通小十郎所迄申宣候所に。御意を得られ候へば尤早々参申すべき由御意候由申越され候間。片平へ飛脚を越候而参会申すべき由申候に付。即安積堀ノ内と申所へ罷出られ候。拙者も罷出候へども。助右衛門申され候は。去年大内備前御奉公申付られ。会津より御疑心成られ人質を召上られ候上にも。我等少も御油断成られぬ体に候。ケ様にては以来身命大事に存候間。政宗公へ御奉公仕るべき由申上られ候。然る処に深雪の時分は御出馬成られぬ由にて事切相延候上。落馬にて弥相延申候に付。会津衆中須賀川岩城の老衆よりも状を預候。事切仕らず候故相返申事も罷成らず候。若如何様の表裏も候而会津へ御奉公仕候由申仁も候へば迷惑に存候條。連々米沢へ申上候様にと申され候。其上我等に会申候はば心中も違候と申唱。会津の通用も有間敷と存。御目を懸け度申越候由申され候。助右衛門奇特の義申上候。御大慶に思召され候。御出馬御過迄に御延引候はば事切申候而も如何と思召相延られ候。気遣無く御左右次第に手切れ申すべき由御意に候。其通助右衛門所へ申遣候。

語句・地名など

現代語訳

一、片平助右衛門親綱が2月20日頃飛脚を遣わしてきて、少し用があるので、会いたいということを言ってきたので、その通りに小十郎の処に言い、許可を得られるなら、すぐに行ってほしいとお思いであると仰ったので、片平へ飛脚を送って、会おうということになった。すぐに安積の堀の内というところへやってきた。私も行ったところ、助右衛門親綱は「去年大内備前定綱が伊達に奉公するようになってから、会津から疑われるようになり、人質を取られた上に、私は少しも油断出来ない状態でございます。このような有様では、命を大事に思いまして、政宗公へ奉公いたしたいと申上ましてございます。しかし、雪が深い頃は出馬出来なくて事切が延期になりましたが、落馬にてさらに延期になっていることから、会津の者、須賀川、岩城の家老衆からも書状を預かっております。事切できないため、お返事することもできないでおります。もし何らかの裏表があり、会津へ内通しているという者もいるので、大変困っておりますので、くりかえし米沢へ申し上げてください」と言った。その上私に会ったなら、心の中も変わるでしょうと言った。会津への裏切りも無いだろうと思い、お目をかけてくださいと言った。助右衛門親綱の態度に感心したことを申し上げたところ、政宗は大変お喜びになられた。出馬なさるまで延期になれば、事切したところでどうなるだろうかと思われ、延期しておられた。心配せずに、傷の平癒次第に手切れせよとのご命令であった。その通り助右衛門のところに申し遣わしました。

感想

政宗が骨折をし、戦に出られなくなったことから、内応の約束をしていたけれどもまだ蘆名の傘下にあった片平親綱は危機に陥り、成実に使いを送ります。
しかしまあ…骨折だから仕方ないですよね…。