『伊達日記』63:岩城常隆の出陣
原文
一政宗公御足の御痛大形平愈なされ候に付。片平助右衛門に事切仕候様に申遣べき由御意に候間其通申越候処に。三月十六日に事切仕候由申越候條。則米沢へ申上候。助右衛門手切之儀岩城へ聞え。常隆公仰され候は。郡山表に於いて御対陣の見切。佐竹。会津自今以後御入魂候様にと仰合され候処に。政宗公程無く御再乱前代未聞之由仰られ。即田村の内へ御事切成られ候。
語句・地名など
現代語訳
政宗公の足の痛みがおおかた治ったので、片平助右衛門親綱に事切れするようにとのご命令につき、その通り申遣わしたところ、3月16日に事切れしたと言ってきたので、すぐに米沢へそれを申し上げた。
助右衛門が手切れをしたことは岩城に伝わり、常隆公は「郡山方面において対陣したとき、佐竹・会津へこれ以降懇ろにするようにと言い合わせたと言うのに、政宗公がすぐに再び戦を始めるとは前代未聞のことである」と仰り、すぐに田村領へ攻め入られた。
感想
すばやい常隆の動きです。