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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』78:新国上総の降伏

『伊達日記』78:新国上総の降伏

原文

長沼の城主新国上総盛氏御取立を以長沼の城主に差置かれ候へども。政宗公御ほこさきには抱候事成間敷由存。御侘言申上知行相替えず。御前相済若松へ伺公仕。御目見え申され候。

語句・地名など

現代語訳

長沼の城主新国上総貞通は芦名盛氏に取立られ、長沼の城主に置かれていたが、政宗が戦を仕掛けようとしたときには城を保つことが出来ないと思い、謝罪を申し上げ、知行を変えずにいた。
政宗との面会を済まし、若松へ参り、御目見得された。

感想

この章を訳していて気づいたのですが、『伊達日記』では会津黒川のことを一貫して「若松」と書いています。会津が若松と言われるのは、蒲生氏郷が入封したあとのはず。
よく『伊達日記』や『成実記』はリアルタイムに近い形で書かれ、『政宗記』はあとで書かれたというのが通説ですが、『政宗記』では「会津」となっております。
もしかしたら『伊達日記』が書かれたのは、現在言われているより、もう少しあとのこと(少なくとも蒲生氏郷入封以後)だったのかもしれません。