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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『伊達日記』80:須賀川合戦

『伊達日記』80:須賀川合戦

原文

一廿六日未明に須賀川へ御働候。兼而の御備を引替られ須賀川新参衆御先懸。会津新参衆御譜代の衆打交備の御書付相出らる。西の原に備を相立候。政宗公家老衆十騎計召連らる。八幡崎の道筋あまよばはりの道筋方々を御覧成らる。然処に城中の衆両口へ足軽三百人出し。川ばた迄鉄砲を打懸。馬上も十四騎程打出候。今日の御働何と成らるるべき由御たづね候処に。今日は地形計御覧成られ近陣をうつされ然べき由申され候衆も候。又今日より西の原へ御陣をうつされ然るべきと申さるる衆も候。政宗公仰られ候は。内に人数候哉出走候間。一戦を成られ御覧あり度候。若川を越候はば強く押込構の一重も取るべく候間。とかく御人数を指越べき由御意候て。八幡崎の先手は新国上総。ニの目白石若狭。三番は田保田島。あまよばはり口は先手大内備前。片平助右衛門。二番は我等。三番は片倉小十郎仰付られ候。川ばたへ押懸先手衆人数を懸申され候処に備前助右衛門人数足戸悪まくれかかり候間我等人数を入替小口へ押込。又押出らる所へ我等乗懸言を懸押込候。八幡崎の合戦はつ井に小口へ押籠られず候。脇より押切候はば追入るべく存候へども。我等人数ちれ候間左様には成られず。本丸の西に候長陸寺へ火付候火本丸へうつり方々焼候へ共。八幡崎衆はつ井に押込めず。破候迄一戦をば仕だし候而引除候共見えず候。相果候。いづ方の落城にも加様に合戦仕候事は有間敷候。大手柄に候。朝五つ時分より合戦はじまり日暮引上られ候。和田と申城須田美濃抱に候。御人数困候故明日未明より責らるるべき由仰付られ候処に其夜引除候。政宗公北の野山に御陣成られ候所へ。白川義通御奉公に候間御参。石川大和殿も御骨肉と云。則御出。仙道中落居申候。矢田野伊豆。横田治部少輔御わびこと仕。本の身上三ヶ一下され召出され候。小荒田隠岐も我等をたのみ御訴訟申され。小荒田の地一郷下され召出され候。

語句・地名など

現代語訳

26日未明に須賀川城をせめた。かねてからの伊達の陣定めを変え、須賀川から降参した新参衆を先陣にまわし、会津新参衆と譜代衆を加え、備を立てるとの書付が出た。
西の原に陣を引き、政宗は家老衆10騎ほどだけを連れて、八幡崎の道筋の雨乞口の方面を御覧になった。そうしている内に、城の中の衆は両側の出口から足軽を300人だし、川のほとりまで鉄砲を打ち掛け、鎧武者を14騎ほど出した。
今日の戦闘はどうすればいいでしょうとお尋ねしたところ、今日は地形のみ御覧になられ、陣を移すべきという者たちもいた。また、今日から西の原へ陣を移すべきであるという者たちもいた。
政宗は「城内には人がいるだろうから、人が出走ってくるので、一戦を仕掛け、それを見たい。もし川を越えて来たならば、強く押し込み、構えのひとつを取ることができるだろう。とにかく軍勢を集めよ」と仰ったので、八幡崎の先陣は、新国上総、2番手は白石宗実、3番は柴田但馬宗義。雨乞口は先陣を大内定綱・片平親綱に、2番手は私、3番手は片倉景綱にお決めになった。
川のほとりに押しかけ、先陣を仰せつかった者たちが駆けたところ、大内定綱・片平親綱の軍勢が、足下をが悪く崩れたので、私の手勢と入れ替え、小口を攻めた。また出ようとするところを私たちは乗り掛け、下知を飛ばし、押し込めた。
八幡崎の合戦ではついに小口へは押し込むことが出来なかった。脇から押しきっていれば、攻め入ることは出来たと思ったが、私の軍勢は散ってしまったので、そのようにはできなかった。本丸の西にあった長禄寺という寺に火を付けると、火は本丸へ移り、あちこちが焼けが、八幡崎衆はついに攻め入ることはできなかった。城が落とされるまで一戦を行い、退くようには見えず、果てるまでたかった。どこの落城でも、このような合戦をしたことはないでしょう。大変名誉なことです。
朝の5つ頃から合戦が始まり、日暮れに引き上げた。和田という城は須田美濃が守っている城であったが、軍勢は疲れていたため、明日の未明から攻めるようにとご命令になったところ、その夜和田の人々も退いた。
政宗が北の山に野陣したところ、白川義通(義親)が降参してきた。親戚である石川大和昭光も降参してきて、仙道のすべてが政宗の手に落ちた。
矢田野伊豆と横田治部少輔も降伏してきた。もとの知行の三分の一で仕えることになった。小荒田(小原田)隠岐も私を頼って政宗に訴え、小原田の地、1郷賜って、仕えることになった。

感想

須賀川合戦の詳細が書かれています。非常に激しい戦闘で、味方も完全には攻めることが出来ず、須賀川の反政宗派は戦い尽くし死んでいったようです。成実は非常に褒めています。
この落城の際の二階堂盛義夫人阿南姫のことですが、政宗そして成実がどのように対応したかの詳細が『木村宇右衛門覚書』に載っています(そのうちこちらにも記事を作る予定です)。