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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『伊達日記』83:天正18年の正月

『伊達日記』83:天正18年の正月

原文

一若狭へ御入馬候而十七年の御越年に候間。御譜代衆新参衆何れも参られ候。御祝儀申上られ。別而美々敷正月にて候。十四日御嘉例の御謡初候。御乱舞の上毎年大狂言を成され。御自酌にて御奉公人へ御酒を下され候。新国上総六十に成顔に白粉塗鼓を御前にて撃申候。盛氏御恩を相請年はいに似合わぬ由取沙汰仕候。

語句・地名など

現代語訳

若狭(若松?)へお入りになり、天正17年の年越しになられたので、譜代衆・新参衆みなお参りした。祝いの言葉を述べられ、特に美しい正月であった。14日は御嘉例になっている初謡が行われた。乱舞を行った上、毎年のように大狂いなさり、手づからの酌をなさり、奉公人に酒を下さった。
新国上総貞通は60を越え、顔に白いおしろいを塗り、政宗の前で、小鼓を打った。芦名盛氏の恩を受け、年に似合わぬことだと人は批判した。

感想

会津黒川城へ入城したあとの正月でのことを書いています。謡初めのあと乱舞があり、手ずからの酌があり、大狂い(酔っ払い?)になったとあり、いつもの大騒ぎであったことが書かれています。
しかしラスト、会津からの新参衆である、新国上総が60を過ぎた身で白いおしろいを塗った姿で鼓を打っていたことに関して、年に似合わないと批判があったことを述べています。みなそう言っていたというのも事実でしょうが、成実自身もそう思ったのは確かでしょう。
須賀川などで華々しく散った人々には名誉の者という言葉を与える成実ですが、媚びへつらう人に対して非常に厳しい目を向ける人であるなあと思います。

この章で奥羽編ともいうべき奥羽での戦についての部分が終わり、とうとう秀吉との対峙や上方編がスタートします。