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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』90:会津での騒動②

『伊達日記』90:会津での騒動②

原文

一本会津奉公の者夏井藤左衛門と申者。横田警固差置かれ候処に。越後へ申合横田を取らせしめ申すべき企に候由平田勘左衛門と申もの我等に聞こしめさしめ申候。政宗公御下向に候者。彼知行下され候様に頼申由に候。奇特の忠節に候。尤之由挨拶仕候。又夏井藤左衛門弟に弥八郎と申者右の品々に申聞かせしめ候。早勘左衛門各申候て承候へども。若兄に忠計がたきと存尤之由申合候。勘左衛門も藤左衛門従弟にて候。何れも好身共に候間逆心うたがいなく存候間。川嶋豊前あづかりの鉄砲衆申付。桑島監物と両人指越藤左衛門には腹をきらせ申候。弥八郎には其身より先に平田勘左衛門知らせしめ候て代官を越候條。知行の義は成間敷由右両人を以申付候。須の夏井弥左衛門事に候。

語句・地名など

現代語訳

もと会津に仕えていた、夏井藤左衛門という者が横田の首尾にさしおかれていたところ、越後と申し合わせて横田を取らせようと企てていると平田勘左衛門という者が私に知らせてきた。政宗は下向なさっているので、藤左衛門の知行を私に下されますよう、と頼んできた。素晴らしい忠節だと、尤もであると返事した。また夏井藤左衛門の弟に弥八郎という者が、この詳細を伝えてきて、先に勘左衛門が言ってきて、承ったが、もし兄の藤左衛門が知らせるのでないかと思い、尤もであると言い合わせた。
勘左衛門も藤左衛門の従弟で、いずれも優れた者であるので、反逆の心はないと思ったので、川島豊前が預かっている鉄砲衆に命令し、桑島監物と二人を送り、藤左衛門には切腹を申し付けた。
弥八郎にはかれより先に平田勘左衛門が知らせてきて、代官を送ってきたので、知行のことは、無理であるということを使いの二人を介して伝えた。後の夏井弥左衛門のことである。

感想

留守中に会津で起こった事件の二つ目。夏井藤左衛門の反逆の話です。