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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』91:会津での騒動③

『伊達日記』91:会津での騒動③

原文

一須賀川落城の後。矢田野伊豆召出され候時分。大里と申城は召上られ小嶋右衛門差置かるるべき由御意候而破却も成られず。矢田野をば破却なられ。伊豆は若松に相詰。小田原へも御供申候。底倉に御座成られ度々きびしく御たづね候間。御切腹も成らるるべきかと機遣仕候処に矢田野伊豆欠落仕候。定而矢田野へ罷下逆意仕るべきと思召され。我等所へ早飛脚下され近所の人数申付打果申べき由仰付られ候処に。矢田野のものども大里へ移相抱候。伊豆は小田原に於いて佐竹義重御陣所に居候間。弟善六郎大里を相抱候。石川大和殿へ申遣則近陣成られ候。伊達信夫刈田柴田の人数を遣し候へども落城申さず候。

語句・地名など

現代語訳

須賀川落城のあと、矢田野伊豆は政宗に仕えるようになっていたのだが、大里という城は召し上げられ、小嶋右衛門という男を置こうとお思いになったので、破却も出来なかった。矢田野城を破却し、矢田野伊豆は会津に詰めており、小田原参陣にも御供申し上げた。底倉に留め置かれ、何度も厳しく訊ねられたので、政宗の切腹もあるかもしれないと心配していたところ、矢田野伊豆が逃げ出した。きっと矢田野へ下り、反逆するだろうとお思いに成り、私の所へ早飛脚を送られ、近くの手勢に命令し、討ち果たすようご命令されたところ、矢田野の者たちは大里城へ移り、籠城した。伊豆は小田原におり、佐竹義重の陣所にいた。
弟の善六郎は大里を抑えていた。
政宗は石川大和昭光へ命令し、すぐに昭光は近くに陣をはった。伊達・信夫・刈田・柴田の軍勢を送ったのだが、落城はしなかった。

感想

政宗不在時の事件3つ目です。須賀川の旧臣である矢田野伊豆が姿をくらました事件です。実は伊豆は佐竹義重の陣所にいたのですが、反逆が起こらないよう細心の注意を払っていたことがわかります。