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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『伊達日記』97:木村家中の狼藉

『伊達日記』97:木村家中の狼藉

原文

一木村伊勢守。大崎。葛西十二郡拝領に付。上方大名衆の家中ども伊勢守大名に成られ候間。知行を取べき由存暇を乞。亦逃隠伊勢守へ奉公仕候。伊勢守は登米に在城。子息弥市右衛門は古川に在城にて候。大崎。葛西の本大名どもを押除。小者五人十人召つれ候者を城主に仕られ候故。其もの共家中之無きまま中間小者あらしゆのようなる者を侍につくり立。本侍百姓の所へ押こみ押こみ八木を取。百姓の下女下人をうばい。歴々のよめむすめを我女房にうばい取。沙汰のかぎりの仕様によつて侍大将ともに末の事は存ぜず。当座無念をおこし柏木山にて最前に一揆起して。其近辺に居候上人討ころし候由承。気仙東山にても起候由其きこへ候。伊勢守。弥市右衛門。佐沼へ談合のため出合申され候処に登米にて一揆起古川にても起り候間。大崎。葛西。残らずをこり候。父子ともに佐沼に籠城申され候。一揆のもの共佐沼を取巻近陣仕候。父子の者供仕られ候上方衆はのこらず古川登米にて打申され候。上方衆をのこりなく打果申候足軽のやうなるものは裸に成こもを身にまとい逃のぼり候。御登の大名衆其様子きこしめされ足早に御上り候。弾正殿は白川にて聞召され二本松へ御帰御在馬なされ候。

語句・地名など

現代語訳

木村伊勢守吉清は大崎・葛西12郡を拝領したので、上方大名衆の家臣たちが伊勢守が大名になったので、知行をもらえるだろうと暇を乞うてきた者や、逃げ隠れて伊勢守に仕える様になった者たちが仕えていた。
伊勢守は登米城に入り、その子弥市右衛門は古川城に入った。大崎・葛西のもとの大名たちをおしのけて、小者を5人10人連れているような者を城主にしたので、その者たちは家中というものも成立しないまま、中間小者はまるで荒々しい者たちのような者を侍に仕立て上げた。もと侍であった百姓のところへ押し込み、木を取り、百姓の下女・下人を奪い、本侍の嫁や娘を自分の女房にと奪いとった。あらゆる限りのやり方で、侍大将であっても、下の者たちの悪行まではしらなかった。その場にいた者たちは無念と思い、柏木山にて一番先に一揆を起こし、その近辺にいた上方人を打ち殺したと情報が入った。
気仙・東山でも一揆が起こったと伝わってきて、伊勢守と弥市右衛門は佐沼へ談合するためおちあわせたところ、登米にて一揆が起こり、古川でも一揆が起こったので、大崎・葛西領のすべてで一揆が起こった。木村伊勢守親子はともに佐沼に籠城した。一揆の者たちは佐沼を取り巻き、近くに人をしいた。親子に御供していた上方衆は残らず古川・登米にて討たれた。上方衆を残らず討ち果たし、足軽のような者たちは裸になりこもを身にまとい、逃げていった。上方に戻ろうとしていた大名たちはその様子をお聞きになり、足早に戻ったが、浅野弾正は白川にてこの話をお聞きになり、二本松にお戻りになり滞在なされた。

感想

葛西大崎領を治めることになった木村親子ですが、その家中がにわかごしらえのもので、急に大名になったので、荒々しい者たちを上手く抑えることができず、領内で騒ぎを起こし、そのため帰農していたもとの侍たちが怒りを募らせ、一揆が起こったことが書かれています。