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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『伊達日記』99:須田伯耆の訴え

『伊達日記』99:須田伯耆の訴え

原文

一松森に御在陣之内。政宗御家中須田伯耆と申者。松森へ参て蒲生四郎兵衛を頼み申上候は。政宗一揆に御同心にて氏郷を討果申すべき由存ぜられ候條。御油断成らる間敷由申上候而則御在陣に罷在候に付。氏郷大崎敵地の内一ヶ所取。其地へ引こもり度思召され。政宗御相談にて名生と申小城を御責取。則御引籠普請をなされ御座候。政宗猶其由は御存知なく宮沢の城へ御働なされ。氏郷へ御飛脚をつかはされ候処に。内へもいれず押返候。宮沢に近陣なされ候へば。佐沼に伊勢守父子こもり候を一揆の者取まき候故。飯米もある間敷候間早々引出され度思召され。宮沢へは無事にて御入。城主を召出され佐沼へ御はたらき成られ候うけたまはり佐沼とり巻候一揆の者共引除候に付。伊勢守は父子引出され候所に。名生へまいり氏郷に逢申すべき由申され候。名生へ参られ候所に政宗一揆に御同心の由承。氏郷同前に名生居られ候。

語句・地名など

現代語訳

氏郷が松森に在陣している間、政宗の家臣の須田伯耆という者が、松森へ来て、蒲生四郎兵衛郷安を頼り、「政宗は一揆と通じており、氏郷を討ち果たすよう思っているので、油断なさいませんよう」と申し上げ、氏郷の陣に駆け込んだ。
氏郷は大崎の敵地の内ひとつの場所をとり、そこへ籠もりたいとお思いになり、政宗と相談の上、名生という城を攻め取られ、すぐに籠城し、工事をなさった。
政宗はそのことを知らず、宮沢の城へ攻め入り、氏郷へ飛脚をお使わしになったところ、城のうちにも入れられず、返された。
政宗は宮沢に陣をしいたので、佐沼に木村親子が籠もっているのを、一揆の者たちは取り囲んでいたので、食料である米もそれほどないだろうから、早く脱出させたいと思われ、宮沢へは無事にお入りになった。城主をお呼びになり、佐沼へ働きなさることをお聞きになり、佐沼を取り巻いている一揆の者たちが退いたので、伊勢守は親子友に救出された。名生城へいる氏郷に会いたいということを言ったので、名生へ送ったところ、政宗が一揆に加担していることをお聞きになり。氏郷と一緒に名生に入った。

感想

政宗・氏郷がそれぞれ一揆衆を片付けている内に、政宗の旧臣である須田伯耆が政宗が一揆に加担していると訴え、疑いを抱くようになった氏郷は名生城に籠もることになりました。