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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』108:奥羽仕置の完了

『伊達日記』108:奥羽仕置の完了

原文

一関白様は最上へ御下向。家康公は岩出山に御逗留なされ候。佐沼岩出山を御再興候而政宗公へ相渡され候。関白様へ相付られ御人数浅野弾正殿も南部迄御下。奥中平均に仰付られ御登候。政宗公も直に岩出山へ御移候。長井。伊達。信夫。田村。塩の松。刈田迄蒲生飛騨殿御拝領候。関白様。家康公御登成られ候。政宗公御国替に付伊達。信夫。田村。塩の松の侍衆妻子下され引移申され候。

語句・地名など

現代語訳

関白秀次は最上へお下りになった。家康は岩出山に滞在なされ、佐沼・岩出山を再興なさり、政宗へお渡しになった。関白秀次に付けられた軍勢と浅野弾正も南部までお下りになった。奥州の平和を御命じになり、お上りになった。政宗も直接岩出山へお移りになり、長井・伊達・信夫・田村・塩松・刈田まで蒲生飛騨氏郷拝領なさった。秀次と家康は上洛された。政宗は国替えになり、伊達・信夫・田村・塩松の侍衆は妻子を移した。

感想

奥羽仕置の終了により、家康が城割を行った岩出山に本拠を移すことになりました。政宗が手に入れた新領地はほぼ蒲生氏郷の領地となりました。一揆を経て、小田原参陣時の約束とはかなり違うものになってしまいました。