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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』113:名護屋での出来事

『伊達日記』113:名護屋での出来事

原文

一盆に加賀筑前殿御家中前田孫左衛門と申人より政宗公御陣所へをどりを差越され候。其返事成らるるべき由にて何も稽古仕候。廿日の晩相返成らるるべき由にていづれも出立候処に。日暮家康公御陣前にて安部伝八郎と申者。柏原新五郎と申者衆を討欠落仕候。家康公より陣所陣所へ御穿鑿候様にと仰越され候に付。方々へ続松にてたづねまはり候間をどりも相止。其後は御返し之無く候。

語句・地名など

続松:ついまつ・たいまつ

現代語訳

盆に加賀筑前前田利家の家臣に前田孫左衛門という人から、政宗の陣所へ踊りを送られた。
その返事をしなくてはいけないため、みな稽古をした。20日の晩、返す予定で、皆出発したところ、日暮れになり家康の陣所前で、安部伝八郎という者、柏原新五郎という者を討ち、逃げ出したので、家康から陣所陣所へ調べるようにと言ってこられたので、あちこちへ松明を付け、訊ねまわったので、踊りのことは無いことになった。

感想

喧嘩があったことは前の項にもありましたが、今度は踊りの送り合いが行われ、その準備のために稽古したり装束をつけたりしていたことが書かれており、非常におもしろいです。
しかしそれも家康の陣中で起こった殺人事件のせいで流れ、人探しすることになりました。やはり名護屋は大変な状況に置かれていたようです。