『木村宇右衛門覚書』について
仙台伊達家から昭和26年に仙台市へ寄贈された伊達家寄贈文化財の中にあった一資料である。江戸時代には「木村氏覚書」「木村宇右衛門書立」と称されることもあった。上中下巻の3巻からなる。
内容は伊達政宗が晩年に小姓の木村宇右衛門に語った様々なことを木村が書きとめたもので、184項目、政宗の出生から政宗の死後の慶安5年(1652)5月24日の17回忌までの記事が記されている。
木村宇右衛門可親(よしちか)は元の名を森右衛門といい、9歳の頃から奥小姓として政宗に仕えた。政宗死後職を離れたが、忠宗より慶安5年(1652)に30貫文の知行を宛がった。延宝3年(1675)4月に老齢を理由に隠居。覚書の成立は政宗の17回忌にあたる慶安5年に間もない時期と考えられる。
主人公政宗と書き手右衛門の同時代性こそが、本資料の最大の魅力である。
何回か調査され、付帯文書が付けられている。
- 奥山大炊常辰(1614〜1689/奥山大学常良の子)によるもの 木村宇右衛門の息子太郎左衛門が所有していたものを、奥山大炊が調査し、1675〜89年までに付け札したものと思われる。
- 田辺喜右衛門・遊佐次郎左衛門によるもの 四代藩主綱村の命によって、『治家記録』が編纂された際に調査を命じられた。「大形相違多き物に相見へ」と全体を評価した。その後藩の蔵にしまわれた。
- 五代藩主吉村によるもの 寛保元年(1741)に蔵から取り出し、見た。
- 入江権大夫によるもの 七代藩主重村の代に、奥村大炊が付けた札がはがれかけていたため、再調査を命じる。どうしても見つからなかった札もあったという。重村は「宇右衛門覚書を第一と定め」と高く評価した。
———小井川百合子編『伊達政宗言行録 木村宇右衛門覚書』序より抜粋・要約
当ブログはあくまで成実が書いたとされる各書の紹介・考察を目的としておりますが、内容比較のために、成実が登場する項や『政宗記』『成実記』や『名語集』と重なる項を紹介していきたいと思います。
『木村宇右衛門覚書』は小姓木村宇右衛門可親(よしちか)が政宗が語ったことを記した、政宗言行録の一つ。小井川百合子編『伊達政宗言行録-木村宇右衛門覚書-』として公刊されております。近習の小姓ならではの視点で、政宗の言ったこと・日頃の行動・考え方などを記した書で、とても読み物として面白いです。
成実の各書や『名語集』と違う特徴としては、
- ものすごく記憶力がいい人だったようで、ディティールが詳しい
- 都合の悪いことをかかない傾向がある成実や、感情に走りがちな『名語集』筆者と違って、自分の感情を入れず、聞いたこと・見たことを比較的正確に記している(と思われる)
- 政宗のフィルターが入っているので、あくまで「こういうことにしておいた事」ではあるが、他の史料にない独自の記述がたまにあって興味深い
- ただし木村のフィルターは成実のフィルターより薄いと思われるので信用できる
- 記事によって史料批判する必要がある