2020年10月から12月まで、国立歴史民俗博物館にて開催されました「性差(ジェンダー)の日本史」展。
その図録と今年になってから発売されました『新書版 性差の日本史』に、伊達家の記述が載っていたので、引用してみます。
「ここでは、仙台藩伊達家上屋敷の奥女中の誓詞を見てみましょう。図5-5は老女の音羽、菅野、浜野の三名が奉公する際に提出した、血判を押した誓詞です。男性役人と奥女中の共通性を示しているものといえるでしょう。」
『新書版 性差の日本史』115p
「奥方の政治的な役割
では、奥向奥方の政治的な役割はどこにあったのでしょうか。一つは、表向と同じように、奥の儀礼や大名間の交際などを滞りなく行う役割を持っていたことです。仙台藩の奥方からは、御城使(おしろづかい)と呼ばれた奥女中が将軍家大奥に派遣され、大奥女中のトップである将軍付の老女に対面し、将軍や御台所への御目見えが許されることもありました。奥女中が、大名家の奥と将軍家大奥の交際を支えたともいえるでしょう。
(中略)
もう一つの政治的役割は、男性当主がその役割を十分果たせない時に、大名の妻がその役割を代行するところにありました。図5-7の七代目の仙台藩主・伊達重村の正室観心院(かんしんいん)(近衛惇君)という女性は、藩主たちが相次いで亡くなり、伊達家が危機に陥った際に、強い指導力を発揮して危機を乗り越えました。中世、夫の死後に家長として家を支えた北条政子や寿桂尼のような存在は、近世においても健在でした。」
『新書版 性差の日本史』116p
『図録版 性差の日本史』164p
168p
政宗の時代よりあとの時代ですが、奥方・奥向が外交・社交を司っていたことがわかる資料です。