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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』34:新沼の籠城

『伊達日記』34:新沼の籠城

原文

新沼に籠候衆五千に及候間、新沼小池にて食物もなく籠城致され体に候。政宗公内々御人数をもつかはされ引出され度思召れ候へども、山道は御気遣成られ左様にも之無く候。新沼衆申され候は、室山を押通向敵を切払、松山へ引除かれるべき由申さるる処に、沢谷月鑑申され候は、桑折室山両地除口はさみ候ども、地形能候はばくるしからず候。大川を越候砌双方より仕かけ候はば手もとらず犬死仕るべく候間、先様子見合然べきよし申さるるに付相止候。

語句・地名など

沢谷月鑑→長江月鑑斎

現代語訳

新沼に籠城していた者は5000人にもなっていたので、新沼は小さな池で、食べるものもなく籠城されたようであった。政宗は秘密裏に軍勢を遣わし、連れ出したいと思われていたのだが、山道を気になされて、そうすることもできなかった。新沼衆が言ったのは、室山を押し通り、向かう敵を切り払い、松山へ退却するべきであると仰ったときに、長江月鑑斎は桑折・師山両地が退却口を挟んでいるけれども、地形はよければ、難しくないだろう。大川を越えたとき、双方から仕掛たならば、玉をとらずに犬死にするであろうから、まず様子を見合わせるべきであると言ったので、出陣をやめた。

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