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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

2018-01-01から1ヶ月間の記事一覧

『正宗公軍記』1-1:正宗公十八の御年、御家督御継ぎなされ候事

『正宗公軍記』1-1:政宗公が18歳の時、家督を継がれたこと 原文 伊達大守輝宗公御代は、佐竹・会津・岩城・石川、何れも御一門中間にて御入魂に候。右の御大名衆、数年、田村へ御弓矢なされ、田村清顕公御手詰に罷成候。正宗公の御舅に御坐候へども、輝宗公…

『正宗公軍記』軍記類纂版・目次

『正宗公軍記』軍記類纂版 解題 正宗公軍記 二巻 本書は、伊達政宗が、奥州に於ける軍事を記したものなり。内容は、政宗十八歳にして家督を継ぎ、付近の大名を切従へ、数度の合戦に勝利を得、結局政宗一人、威を東北に振ふ次第を記したり。此の書、黒川蔵写…

北海道の成実生誕450年関連いろいろ

心の伊達市民制度の案内が来て知ったのですが、開拓記念館改めだて歴史文化ミュージアムの開館が今年秋予定だったのが、来年春に延期してしまったそうです…(しかもそれ10月の記事だった…)。 あ、秋にいくはずだったのに!と思っていたら、複数のフォロワー…

『政宗記』3-11:黒川月舟死罪逃れらる事

『政宗記』3-11:黒川月舟斎が死罪を逃れたこと 原文 今度大崎との戦に、伊達の勢不手際なるは、黒川月舟逆心の故也。政宗重ねては先、月舟居城の黒川を押倒し、其れより大崎をと思はれけれども、大崎と取組玉へば、跡の如く佐竹・会津・岩城・白川、各本宮…

『政宗記』3-10:永江月鑑死附弾正誓紙

『政宗記』3-10:長江晴清の死と弾正が誓紙を提出したこと 原文 去ば月鑑は、相馬義胤の子舅なり、故に大崎下新田の合戦にも、月鑑人数は玉なしの鉄砲を打。此のこと政宗聞給ひ、居城の深谷は大崎境、況や義胤縁者といひ、亦も逆心危しとて、先秋保摂津守と…

『政宗記』3-9:最上より大崎へ使者の事

『政宗記』3-9:最上から大崎へ使わされた使者のこと 原文 最上義顕より野辺沢能登と云臣下を、大崎の蟻ヶ袋へつかはし給ひ、月鑑に対面して何と語りけるやらん、月鑑をば本の深谷へ相帰し、安芸一人能登同心して、小野田の城代玄蕃・九郎左衛門と云両人に渡…

『政宗記』3-8:月舟訴訟之事

『政宗記』3-8:黒川月舟斎の訴えのこと 原文 去程に伊達の二陣、上野・伊豆を始め、師山の南の畑に控へたりしが、先陣の者ども通り過して引付けんとて、先へ押通らんと進みけれども、切所の橋を引れ通りけること叶はず。あまつさへ桑折・師山両城の敵共、前…

あけましておめでとうございます!

もう三が日はあっという間に過ぎ、明日は七種がゆですが、おくればせながらあけましておめでとうございます。 昨年は政宗生誕450年、ということは今年は成実生誕450年です。 なんらかのなにか(それはなんだ)が予定されているということなので、狙って北海…