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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『成実記』9:小瀬川の戦闘

『成実記』9:小瀬川の戦闘

原文

一、黒籠より二十四日。からはの内と申城へ御働成られ候。彼地へ二本松衆助入候。少々内より人数を出し合戦候得共。強くも成られず候故。武別仕候而其日は何事も之なく黒籠へ打挙げられ候。築立に差置かれ四人之衆も。小瀬川と申所へ働処。政宗公御働遊ばされ候而。片倉小十郎其砌無人数に而。手勢二百計を以無兵儀に小浜近所迄参候処。小浜之人数押立小瀬川迄五里計斗追懸候。四人之衆川を越合戦仕候。小浜衆は五六百騎も参り候得共。政宗公御働を気遣候間。早々打揚候此方衆は。無人数候間。押添えず双方首十計づつ取申候。

語句・地名など

からはの内:(『政宗記』などによると)大波内

現代語訳

一、黒籠より24日、からはの内という城へお働きなされた。彼の地へは二本松衆が援軍に入った。少し内側から軍勢をだし、合戦となったが、強く攻めることもできなかった。停戦になってからその日は何事もなく、黒籠へ引き上げられた。
築館に置かれた4人衆も小瀬川というところへ戦闘を仕掛けたところ、政宗公もお働きなされました。
片倉小十郎そのころ手勢をあまり以て居なかったので、手勢200騎ばかりを遣わして兵がいなかったのが小浜の近所までやってきた。小浜の軍勢を押し立て、小瀬川まで5里ほど追いかけた。
4人衆が川を越えて、合戦となった。小浜衆は5,600騎も来たのだが、政宗公が動かれるのを心配して、はやばや引き上げたこちらの軍勢は人が少なかったので、押し添えることができず、双方首を10ほどずつ取った。

感想

9月24日の戦闘の話です。