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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

2019-07-26から1日間の記事一覧

『伊達日記』83:天正18年の正月

『伊達日記』83:天正18年の正月 原文 一若狭へ御入馬候而十七年の御越年に候間。御譜代衆新参衆何れも参られ候。御祝儀申上られ。別而美々敷正月にて候。十四日御嘉例の御謡初候。御乱舞の上毎年大狂言を成され。御自酌にて御奉公人へ御酒を下され候。新国…

『伊達日記』82:須賀川の知行割

『伊達日記』82:須賀川の知行割 原文 一須賀川の地は石川大和へ下され候。西方の御奉公衆は与力に相付けられ候。三十日余須賀川に御在馬成られ候。白川。那須。境。関などと申所に新地を御きづき候。番手を御訴訟に付我等人数を越申すべき由仰付られ候間。…

『伊達日記』81:岩城との和議

『伊達日記』81:岩城との和議 原文 一仙道中残りなく御手属され候間。御和談候而。来年は佐竹へ御弓を成らるるべき由御思案なされ。片倉小十郎に仰付られ志賀かんてうへ状を越申すべき由御意にて。岩城の儀はかやうに打隔べき御中にて之無き御味方御一党の…

『伊達日記』80:須賀川合戦

『伊達日記』80:須賀川合戦 原文 一廿六日未明に須賀川へ御働候。兼而の御備を引替られ須賀川新参衆御先懸。会津新参衆御譜代の衆打交備の御書付相出らる。西の原に備を相立候。政宗公家老衆十騎計召連らる。八幡崎の道筋あまよばはりの道筋方々を御覧成ら…

『伊達日記』79:須賀川攻めの軍議

『伊達日記』79:須賀川攻めの軍議 原文 須賀川は佐竹岩城を相守られ。警固に佐竹よりもも殿。つきのおれ殿。其外南口衆差越され候。岩城より植田但馬。高貫中務差置かれ候。岩瀬一家西方衆。政宗公へ御敵申事成間敷由存られ。保土江南。浜尾善斎。矢部下野…

『伊達日記』78:新国上総の降伏

『伊達日記』78:新国上総の降伏 原文 長沼の城主新国上総盛氏御取立を以長沼の城主に差置かれ候へども。政宗公御ほこさきには抱候事成間敷由存。御侘言申上知行相替えず。御前相済若松へ伺公仕。御目見え申され候。 語句・地名など 現代語訳 長沼の城主新国…

『伊達日記』77:猪苗代弾正の望み

『伊達日記』77:猪苗代弾正の望み 原文 一会津御知行割の砌弾正我等を以申上られ候は。御奉公之砌三ヶ條望申候由。北方半分下され候様にと申上候間。其通仰付られ候様にと申上られ候。政宗公御意には。北方の内に何程。弾正知行申所は何と申候哉と御意候。…

『伊達日記』76:四ヶ所の落居

『伊達日記』76:四ヶ所の落居 原文 一会津の山の内にいないほう。横田。川口。屋なとり。此所は山中故御手に入れず。然処八月末に原田左馬助御代官に為さしめ会津新参衆長井の御人数を以屋なとりの城責落なで切に仕候間。津川へ除候者も御座候。又御侘言申…

『伊達日記』75:会津での知行割

『伊達日記』75:会津での知行割 原文 一義重常隆御帰陣に付。政宗公は会津郡中の肝煎大百姓召あつめられ跡々物成御尋成られ。御奉公仕候ものどもにいずれも御加増下され候。原田左馬助は会津御事切の時分より御手に入候はば。津川を下さるべき由御約束に候…

『伊達日記』74:義重・常隆の帰陣

『伊達日記』74:義重・常隆の帰陣 原文 一義重大平を御取候以来。別而御手ぎわも之無き故か。七月廿日比佐竹へ御帰馬候。常隆公も御帰陣候間田村へつかはされ候。御人数多分罷かへり。伊達信夫の御人数ばかり在陣申され候。 語句・地名など 現代語訳 佐竹義…

『伊達日記』73:会津の家老たちの動向

『伊達日記』73:会津の家老たちの動向 原文 一三橋御在馬中。会津の宿老富田美作。平田不林。同周防御奉公仕るべき候條。只今相抱候知行。其上備付之与力之身上相立られくださるべく候由申され候。内々政宗公も大分の訴訟と思召され候へども。須賀川に義重…

『伊達日記』72:田村の警固

『伊達日記』72:田村の警固 原文 一佐竹義重公須賀川へ五月廿七日に御出馬成られ。常隆公仰合わされ田村へ御働候。政宗公三橋に御在馬中。義重公田村の内大平常隆は門沢を御責取候。彼地警固に伊達衆には中島右衛門。大町三河。宮内因幡差置かれ候処に。因…

『伊達日記』71:三ヶ所の落居

『伊達日記』71:三ヶ所の落居 原文 一七日金川近陣成らるるべき由思召。六日に引上られ候間。仕寄の道具支度仕るべき由仰付られ候処に。其夜。金川。三橋。塩川。三ヶ所共に若松へ引除候間。則政宗公三ツ橋へ御馬移され。御逗留成られ候。 語句・地名など …

『伊達日記』70:首実検

『伊達日記』70:首実検 原文 一御前へ参候首。会津一家金上遠江は我等家中斎藤太郎右衛門討申候。其外佐瀬平八郎を始千五百八十余りに候。其夜は猪苗代へ引上られ候而翌日金川へ御はたらき成られ候。会津衆堅固に持候間。明日近陣を成らるるべき由御意成ら…

『伊達日記』69:摺上合戦

『伊達日記』69:摺上合戦 原文 一五日の朝御談合成らるるべき由にて家老衆いずれも召出され候。然る処に会津より御座働候由申候。昨日もいつはりを申候由申候処に。人数見候由申来候間。両の屏ぎはへ罷出見申候へば備数多見え候。政宗公摺上の方見え候やぐ…

『伊達日記』68:政宗の移動

『伊達日記』68:政宗の移動 原文 一常隆公三月より小野に御在馬成られ。佐竹会津へ度々仰合わされ。五月廿七日に佐竹義重公。会津義広公。須賀川へ御出馬成られ。常隆公へ仰合され。田村へ御働為しむべき由聞召され。伊達信夫刈田柴田の御人数新地より直に…

『伊達日記』67:三春での在陣

『伊達日記』67:三春での在陣 原文 一常隆義胤田村へ御出馬に付。若狭小十郎。我等。田村へまいり候へども。別而御働にかはる事も之無く候間。三人ともに三春在陣候而働御座候。表へは助候へども城へ小口がかり成共之無く候。小十郎と我等相談申候はば猪苗…