[sd-script]

伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『成実記』7:八丁目境について

『成実記』7:八丁目境について

原文

一、ヶ様に塩松は御弓箭に候得共。八丁目に我等親居申候処。二本松境は事切これなく候。其子細は右に書付候如く。強処へ身上を持相立候に付而。義継大内備前に加勢成られ候共。伊達の弓矢募候はば。伊達へ御詫申すべく分別と見得候。又親実元分別には会津仙道の衆。塩松へ相助候田村は敵は敵候間。二本松領中を通候間。義継に疑心申候様思案られ候而境を沈め申候。其枝分を政宗公へは申上られ候得共。我等若輩に候間きかせ申せられず候。此境事切候はば弥煩強成るべく候。申上事切仕間敷候。我等に両度迄誓詞を致させ。八丁目・二本松境無事に仕られ候。

語句・地名など

現代語訳

このように塩松は戦になっていたのだが、八丁目城に私の父が居たところ、二本松との境目は争いはなかった。その詳細は以前に書いたとおりである。強いところに身代を保ちっていたので、二本松の畠山義継は加勢されたのだが、伊達の武威が上がってくると、伊達へ詫びへ入れ、態度を改めようとしているように思えた。また私の親の実元が思うところには、会津・仙道の衆が塩松へ援軍しようとしている田村は敵であるので、二本松の領内を通るため、義継に疑いの心を思われて、境目を沈めていた。その枝分かれを政宗公へ申し上げられていたのだが、私は若輩であったので、聞かされていなかった。この境界が関係が悪化するならば、さらに煩いがいっそう強くなるだろうから、申し上げた関係を悪化させることはあるべきではないと、私に二度も誓詞を出させ、八丁目と二本松の境は無事でありました。

感想

二本松と八丁目の境は八丁目城を治めていた成実の父実元が目を配り、平穏を保っていたことが書かれています。
子である成実が知らない間に政宗と実元が連絡をとっていたこと、子である成実に2回も誓詞を出させていたことなどがわかり、あまり明確に伝わっていない実元の解像度が上がる気がします。