『成実記』20:二本松籠城の理由
原文
一、二本松の城去年より。当七月迄相抱候子細は。高玉阿児ヶ島会津奉公に付、深山づたひに二本松へ通路仕候。内々通路へ附城共成られ度思召候得共。義広・義重・常隆御出馬を御気遣を以て成られず候。其上高山に而見はへ通路を留めるべき様に而人数をも越候へば通らず候。人数之無き時分は見切候而。い木以下も少々通候故。当年七月迄相抱候。
語句・地名など
現代語訳
一、二本松の城去年から、この7月迄籠城した詳細は、高玉・阿児が島が会津に奉公しているため、深山づたいに二本松へ通路がある。内心、通路へ附け城を作ろうと思われていたのだが、芦名義広・佐竹義重・岩城常隆の出馬を気遣ってできなかった。
その上、高山から見える通路を留めるように人数を越させたが通らなかった。人数がない時は見切れて、いき以下も少しは通るので、当年7月まで籠城が続いた。
感想
「い木」がわからない…???