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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『成実記』19:二本松開城

『成実記』19:二本松開城

原文

一、政宗公少々御気色無揃に付。二本松へ之御働相延。四月始に御働成られ候。内々近陣を成られ度思召候得共。去年の如く御行会津山城より安積之御出馬に候はば。城を巻ほこし御出馬なられ候事を。如何思召され北南東三方より。五日御働成られ候得共内より一人も出ずやらひ懸など二度候得共城よく候條。御責成られ候事も成難く候而。小浜へ御籠成られ候。然処に相馬義胤より御使者候而。我等親類候得共義胤御頼候に付。小浜へ参り御無事御取扱に候。別而御たいもくも之無く。二本松籠城相除候様にと御扱に而。同年七月十六日本丸斗自焼に而。会津へ引除かれ候地下人は。思ひ思ひに相除候。我等に城受取申すべき由仰せ付けられ候間。其日罷越本丸に仮屋を仕申候。政宗公七月二十六日に。二本松へ御出御覧成られ候て。其日帰らせられ候。

語句・地名など

まきほごす(巻き解す):城をとりまいても落城しない場合、その軍勢をしりぞけること

現代語訳

一、政宗公は少々体調がよくなかったので、二本松への働きかけは延期され、4月始めに成された。内心、近陣をしきたいと思われていたのだが、去年のごとく、もし会津山城からの安積への出馬があるのなら、城攻めを取りやめ、いくさになるだろうことをどうすべきかと思われ、北南東三方から、5日攻めかけたけれど、中から一人も出てこず、やらいがかりなど二度あったが、城はよく保っており、攻めることもできず小浜へお籠もりになられた。
しかるところに、相馬義胤より使者が来て、私の親類であるけれど、義胤が頼ってきたので、小浜へ行き、無事開城となることになった。特に条件もなく、二本松の籠城衆は退去すべきとのことであった。
同年7月16日本丸だけ自焼し、会津へ退去した。百姓たちは思い思いに逃げた。私に城を受け取るようご命令になったので、その日二本松に来て、本丸に仮屋を立てた。
政宗公は7月26日に二本松へ来られ、御覧になって、その日お帰りになられた。

感想

このころ政宗は体調を崩していたようです。
相馬義胤の仲介により二本松は落城。