[sd-script]

伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

2015-04-01から1ヶ月間の記事一覧

『政宗記』8-9:伏見出御附御最後

『政宗記』8-9:秀次の伏見出発とその最期 原文 去ば秀次公、聚楽を出御有て東福寺辺を御行給へば、大谷刑部少輔・増田右衛門尉出向奉り、御奥近ふ伺公して、「伏見にては以ての外なる御立腹也、此儘直に出御ならば、已に御命も危ふ覚へ候。申し兼たる御事な…

『政宗記』8-8:関白乱事

『政宗記』8-8:関白秀次事件 原文 去程に太閤、聚楽をば、関白公へゆづり、御身は大坂・伏見の両城懸ておはしけるが、爰に近江国浅井備前守の息女、其頃天下にかくれなき美女におはす事聞給ひ、天正の比彼息女を密に迎ひ取、淀の渡りに新殿を構へ、淀の御所…

『政宗記』8-7:名護屋御帰朝事

『政宗記』8-7:秀吉が名護屋からお帰りになったこと 原文 同八月、秀吉公御帰朝たりと云ども、四国・鎮西衆は未高麗に在陣して、釜山海近所に要害を三つ取立給ひ、其普請致せと上意也。扨中国より京東の大身計り、同年の九月に帰朝し給ふ。かかりけるに、秀…

『政宗記』8-6:赤国合戦附政宗御感状

『政宗記』8-6:赤国合戦と政宗が感状を貰ったこと 原文 されば、去年壬辰に、四国・鎮西・中国の大身衆、黄海道・平安道・夷蘇海道・をらんかい迄斬随ひ、高麗人ども手と身に成て逃散ければ、其飯米を取て、今年癸巳四月迄は、各在陣なれども、其後我朝より…

『政宗記』8-5:高麗立之事

『政宗記』8-5:高麗へ出発のこと 原文 文禄二年癸巳正月、秀吉公当三月より、政宗・弾正父子渡海致せと上意に付て、同三月十五日より、船中へは入給へ共、日和悪くて、二十二日迄名護屋間に掛て順風を待給ふ。二十三日に順風なれば、壱岐の風本迄乗着給へり…