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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

2014-01-01から1年間の記事一覧

2014秋仙台松島亘理

2014年最後の伊達旅です。 昔私が学生で、伊達にハマっておりましたころに仙台旅行中に購入したこういう本がありました(本というか、小冊子?です。3以降はあったのかどうか知らない…) 伊達家関連の墓所や神社仏閣について詳しく書いた本です。独眼竜放映…

『政宗記』9-4:秀吉御逝去事

『政宗記』9-4:秀吉の逝去のこと 原文 同(慶長)三年戊戌の六日*1、秀吉公違例の心地出させ給ひ、日を重ね尚も重らせ給ふ。其故諸大名衆を召集め、「縦ば明日にも御他界なりとも、若君秀頼公へ全く不忠有間敷、」との誓紙をせよと上意に付て、各血判を差上…

『政宗記』9-1:若君達御最後附政宗気遣之事/9-2:制札之事

『政宗記』9-1:関白秀次の子息達の最後と政宗への謀叛疑いのこと/9-2立て札のこと (目次では分かれていますが、本文では同じ章にまとめられていますので一緒に掲載します) 原文 扨も関白公には、若君・姫君五人御坐す。御嫡子をば仙千代丸と申して五歳に…

『政宗記』11-4:躍御見物事/躍次第附衣裳事

『政宗記』11-4:踊りの見物をされたこと/踊りの様子と衣装のこと 原文 御能相過、政宗小姓を以て躍を御目に掛けられにけり。即御舞台にての躍なり。扨役者の次第、附躍子。 笛 春日又三郎・平岩勘七 小鼓 長命長次郎・大倉長左衛門・幸清次郞・大森九右衛…

『政宗記』11-2:公方家光公御茶上給事/11-3:御能事

『政宗記』11-2:将軍家光公へ、政宗がお茶を上げなされた事/11-3:能のこと (目次と実際の分け方が違い、また同日のことであるので、両方一緒に紹介いたします) 原文 去ば寛永十二年乙亥正月二十八日に、江戸御二の丸の御数寄屋に於いて朝の御会席、 御…

『政宗記』11-1:政宗物僻事

『政宗記』11-1:政宗の物数寄について 原文 去ば常々物僻にて御坐す、爾程に数寄道をも、日来心掛給へり。其故に先茶湯の道具より申せば、碾茶壺、肩衝・桶口肩衝・侘助肩衝・紹鷗文琳・壺物・大海・利休物相、茶入れの名物此のごとく。扨虚堂墨跡、是は大…

2014夏亘理御霊屋御開帳

■おや? 今年16日が土曜日か…。17日まで休みだし、15日東京にいるから、亘理経由で帰ろう!と突然思い立ち、ご開帳いってきました。 若干しとしとと雨の降る中、11時から説明会がありました。老若男女50名ほどが雨の中静かに説明を聞きました。(このエント…

『政宗記』11-5:政宗下国事

『政宗記』11-5:政宗が領国にいるときのこと 原文 同年(寛永十二年)の六月二十日に、御暇にて江戸より下り給ふ。然るに、領中白石川の水上小原と云処に鮎盛りなれば、在城国分の若林へは着給はで、信夫の桑折より直に小坂と云処を打越、右の小原へ着給ふ…

『政宗記』12-4:葬礼次第附七仏事

『政宗記』12-4:葬礼次第と七仏事 原文 葬礼場は、八幡宮の後北山の下、覚範寺よりも七・八町西にて、今度葬礼の道に横の広さ十二間、四寸角を赤くして両方へ柵を振、其中へ薦を敷、其上に木綿、扨四門の内より木綿の上に白練敷り。柵の外は広さ二間余りに…

『政宗記』12-3:二世の供申出事附逝去

『政宗記』12-3:殉死の願い出と逝去 原文 同(寛永十三年五月)二十二日に、二世の供と申す者ども何れも書付を差上ければ、披見有て顔に押当、「扨惜者ども哉。ヶ程の者を此世の事に役立てなば、一方の堅めにもなどかならでは候べき、或若年或盛んなる者ど…

『政宗記』12-2:療治附将軍出御事

『政宗記』12-2:病気の治療と、将軍家光お成りについて 原文 去程に、五月二日の卯の刻より、半井驢庵法印療治し給ふ。爾と雖も、段々日を重ね疲労し給ひて、食も一円進まず、腹も張出以ての外なる病体なり。故に御懇衆は申に及ばず、日々夜々の上使なるを…

『政宗記』11-6:鹿猟事

『政宗記』11-6:鹿猟のこと原文: 同(寛永)十三年丙子正月十九日に若林を立、三日路先の十五浜といふ島へ出給ひ、鹿猟をし給ふ。去程に、道中も爰彼処、様々の遊山のみにて通給へり、其頃南次郎吉・加藤十三郎といふ寵愛の小姓、彼等二人を始め、何れも小…

『政宗記』9-3:向島御建立の事

『政宗記』9-3:向島の伏見城建立のこと 原文 慶長元年丙申の二月より、太閤秀吉、伏見の向島に城を構へ、御本城より橋を渡し、往来ありて御慰所と取立給ひ、御普請過半出ける処に、頃は閏七月十二日の夜半許に、大地震夥しうして、天守を始め御殿共をゆり崩…

くずし字がよめるようになりたい

■タイトル通りです…。 加賀聖藩文庫版の『伊達日記』(政宗記)、『伊達日記』(伊達記)のマイクロフィルムからの複写を手に入れたのですが、どちらもくずし字が難しくて頭を悩ませております。人名とか御とか候しか読めない…。奥付とか興味深い事かいてあ…

『名語集』86:京都にて魚類店等の停止

『名語集』86:京都にて魚類店等の停止 原文 同日卯の刻、御他界に、江戸より京へ、早馬にて、同二十八日未の刻、上著し、奏聞ありければ、その時の所司代板倉殿(周防重宗)へ勅ありて、今日より三日は、都の内、魚類の店停止あり、見物事、髙声売買の儀も…

『名語集』85:忠宗公跡式相続

『名語集』85:忠宗公の家督相続 原文 五月二十四日、夜に入り、忠宗公へ御跡式、遺さるるにより、次の日、やがて御屋敷へ御移りなされ候。かたがた御めでたきよし、祝しあへり。誠に歎の中のよろこび、これならん。 地名・語句 跡式(あとしき):家督、跡…

『名語集』84:瑞巌寺に位牌を、高野山に石塔を立つ

『名語集』84:瑞巌寺に位牌を、高野山に石塔を立つ 原文 御位牌は松島瑞巌寺に立つ。雲居和尚下りて住持す。高野山にも御石塔、御供衆まで立ちぬ。「まことに開闢より此のかた、二十余人の御供聞かざる事かな」と申す者多し。 地名・語句 現代語訳 ご位牌は…

『名語集』83:王翼祭事の怪

『名語集』83:王翼祭事の怪 原文 また王翼と申す唐人、祭事を仕り候に、長刀にて白き犬を切りける事ありしに、少しも切れずして、長刀たちうちより。折れたり。余の長刀して切り、祭事せいしが、みな人、気味悪しき事におもひし。 地名・語句 現代語訳 また…

『名語集』82:病気祈念中の怪

『名語集』82:病気祈念中の怪 原文 江戸にて、御病中の御祈念中、おびただしき中に、不思議なることには、御屋敷にて、愛宕の円福寺、大般若行ひ申されけるに、僧衆一度に御経読み上げし声、さながら泣きたてたると皆人肝を消し、あわてさわぐほどに御座候…

『名語集』81:床の上の煙草の怪

『名語集』81:床の上の煙草の怪 原文 同じあかつき、御座の間、御床の上に御煙草常にあげられ候ほど、五服ひねりて、五所にありし。御煙草入は、宵に御袱紗にてよく鼓、御床にあげられしが、少しも乱れず、いつものごとくあり。不審に思ひて、あたりを見る…

『名語集』80:奥の寝所の怪

『名語集』80:奥の寝所の怪 原文 二十日朝、江戸へ御たちなされ、今は岩沼辺なるべきかと思ひし折ふし、奥の御寝所にて、たかだかと御独言、しばしがほど、まさしく御聲したり。女房たち、こはいかにと、不思議に思ひ、おづおづ忍びよりて、見しかども、何…

『名語集』87:将軍家に形見を献ず

『名語集』87:将軍家家光に形見を献上する 原文 上様(将軍家家光)へ御かたみには、鎬藤四郎吉光の御小脇差、山の井の御茶入、虚堂三幅一対、差上げられ候。 地名・語句 現代語訳 将軍家光への形見には、秀吉から貰った鎬藤四郎の脇差し、山の井の茶入、禅…

『名語集』88:夫人剃髪

『名語集』88 :正室めご姫の出家 原文 奥様も御髪をおろさせ給ひ、瑞凰寺(清岳)より、陽徳院様と御法名を進じ奉り、御隠居所にて、朝夕の御仏共を供へ、御焼香なされ、たぐひなき御心ざしかなと皆人感ぜぬはなかりけり。 地名・語句 現代語訳 正室めご姫…

感想『戦国武将と茶の湯』

■茶の湯というからには、天正期あたりの利休とか七哲とかかな?(それはそれで関心領域)と思って買ってみたのですが、なんと第8章がまるまる奥羽伊達氏にさかれていたので本屋でそのままゲットいたしました。戦国武将と茶の湯 (読みなおす日本史)作者: 米原…

読書感想『戦国法の読み方』

戦国法の読み方: 伊達稙宗と塵芥集の世界 (高志書院選書)作者: 桜井英治,清水克行出版社/メーカー: 高志書院発売日: 2014/05/26メディア: 単行本この商品を含むブログ (2件) を見る最近、塵芥集の本がでました。これが初心者にはとてもいい! 論文というより…

『政宗記』3-4:大越紀伊守出入事

『政宗記』3-4:「大越紀伊守出入りのこと」 原文: されば其頃田村家中に、大越紀伊守とて田村一門、扨相馬義胤へも親類にて、家に従ひ、大身なり。彼人相馬へ心を合せ、田村を義胤に取せんとす。其外田村家中に相馬よりの浪人ども、少々城を持ける程の歴々…

2014初夏福島&宮城伊達旅

■大変長らく更新が途絶えてしまいまして、誠に申し訳ありません。 ところで、このGW、伊達好きの皆様と一緒に福島&宮城旅行に行って参りました〜。朝起きて東京経由新幹線で福島入り…のはずが、郡山での人身事故のせいで東北新幹線が2時間ほど遅れており…

誤字誤記脱字などについて

■過去記事を見てたらえらいたくさん誤字脱字誤記そして誤読誤訳に遭遇したので、4月下旬あたりから大幅に改訂したいと思います。印刷するとバンバン誤字が見つかりますね…ネットだと目が滑る。 一年前はちゃんと取れてなかった意味とかも(多少はわかるよう…

『政宗記』3-3:田村清顕頓死、附政宗北の方へ不和の事

『政宗記』3-3:「田村清顕の頓死、政宗と北の方の不和のこと」 原文: 同十一月、田村清顕頓死し給ふ。是に依て政宗米沢より信夫の福島に出られ、田村へは使者を遣はし、則ち帰り給ふ。されば清顕には嗣子なかりければ、残命の内より、末には田村をば政宗に…

『政宗記』3-2:二本松内通附政宗病気並出城之事

『政宗記』3-2:「二本松の内通、政宗の病気、そして小浜を出たこと」 原文: (小林清治『伊達史料集上』人物往来社/1967を主にし、『仙台叢書11巻』も参考にした) 同十四年丙戌二月、二本松籠城より三野輪*1玄蕃・氏家新兵衛・遊佐丹波・同名下総・堀江…