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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『成実記』8:政宗、田村領へ

『成実記』8:政宗、田村領へ

原文

一、清顕公より仰越られ候小浜には。助之衆多人数と申其上塩松の者共。方々より引除候而小浜へ計集候間。御働成られ候御手際有間敷候條。田村へ御通成られ備前抱の小城共を。御取成られ然るべく候。御理に付而築館を。九月二十二日に御立なられ。黒籠と申城田村御抱候間。夫へ御馬を移され二十三日には御休息。小浜に替衆候而。人数を引籠申すべき由。片倉小十郎を以申上候に付。我等と白石若狭と桜田右京小十郎四人は。築館に相残され小浜を取申すべき由仰付られ候。

語句・地名など

現代語訳

一、田村清顕公が「小浜には援軍の衆がたくさんいると言った。そのうえ、塩松の者たちはあちこちから城を引き上げ、小浜へ集まっていたので、戦闘になったら思うようにならないだろうから、田村を通られ、大内備前の治めていた小城を取られるが良い」と言ってこられた。そのとおりだとお思いになれ、築館を9月22日に出発され、黒籠という、田村が治めている城があったので、そこに移動され、23日はお休みなされ、小浜に寝返ろうとする者がいるので、軍勢を引き入れておいたらよいと片倉小十郎を介して申し上げたところ、私と白石若狭と桜田右京・片倉小十郎の四人は築館に残され、小浜を守るようにとお言いつけなされた。

感想

政宗と田村清顕のやりとりです。