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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

『伊達日記』17:二本松籠城

17:二本松籠城 原文 一 会津抱の高玉阿子島より深山づたひに二本松へ通路仕候に付、城成とも成られ度思召され候へども、義広、義重、常隆出馬の御気遣にて成られぬ由候上、髙山にて通路に人数も候へども通らず候。人数之なきに付ては□見切通候間、米以下絶…

『伊達日記』16:戦と降雪

16:戦と降雪 原文 一 十月十五日二本松へ御働候へども内よりも出ず候。即打上られ、川を越、高田へ惣人数引上、上野陣を相懸候。明日の御評議承べきと存我等も高田へ参候。拙者陣場はいをふ田□□申候て、二本松より北にて高田より各別の所に候。其は八丁目我…

『伊達日記』15:輝宗生害事件

15:輝宗生害事件 原文 一 六日の晩。輝宗公政宗公之御陣屋へ御出、御台所へ家老衆召寄られ義継御侘言の様子御相談成られ候。我等若輩に御座候へども、此使い我等親仕候に付、義継への御使仕るべき由輝宗公仰付られ候。ケ様の大事の御使如何の由色々申上候へ…

『伊達日記』14:畠山義継との交渉

14:畠山義継との交渉 原文 一 廿六日政宗公小浜之城へ御馬移され候処に、二本松義継より実元所へ代々伊達を頼入身上相立候へども、会津・佐竹・岩城より田村へ近年御弓矢に候。我等も清顕公へ御恨候て会津佐竹へ一味仕候。去乍銘々首尾を存、輝宗公相馬へ御…

『伊達日記』13:小浜自焼

13:小浜自焼 原文 一 小浜にて助勢共、岩津野を取られ候は、引除候事成間敷由相談申さる。会津衆備前へ申され候は、今日政宗公岩津野を召廻し御覧候ば彼城を御取在るべき由思召され候と見え申候。彼城を取申され候はば、何も引除候事成間敷候間、今夜引除然…

『伊達日記』12:岩角への移動

12:岩角への移動 原文 一 廿五日岩津野へ御出馬成られ、地形を御覧成られ、近陣か御責候か、彼城を御取候へども、兎角敵二本松へ通路不自由に罷成候間、明日御陣を相移さるべき由御評定、先黒かこへ御入馬成られ候。 語句・地名など 現代語訳 一、25日政宗…

『伊達日記』11:4人の移動

11:4人の移動 原文 一 築飯に残置かれ候四人の衆も、小瀬川と申処へ働候処に、政宗公御働遅候処に、小十郎漸二百計の手前の者にて、小浜近所迄参候。小浜の人数に押立られ、小瀬川迄五里計逃懸り候。四手の衆川を越合戦御座候。小浜衆五六百騎参候へども、…

『伊達日記』10:9月24日攻撃

10:9月24日攻撃 原文 一 廿四日をうはの内と申城へ御働候処に、彼地二本松衆助入候。少の内より人数を出し、合戦候へども、強も罷り成らず候。物別仕黒かこへ打上候。 語句・地名など をうはの内:大波内 現代語訳 一、24日、大波内という城をお攻めになっ…

『伊達日記』9:政宗、田村領へ

9:政宗、田村領へ 原文 一 清顕公より政宗公へ仰遣され候。小浜は多人数に候。其上方々より引除候者共、小浜へ集候間、御働成られ候えども、思召の儘に在間敷間田村へ御廻り、備前抱の小城共を御取成られ然るべき由御理に付而九月廿二日に築飯を御立。田村…

『伊達日記』8:二本松境について

8:二本松境について 原文 一 二本松境へは今は御手切も御座なく候。実元分別には、会津仙道より四本松へ助候諸勢。田村は敵にて二本松領中打通申候。義継へ会津以下の衆疑心申され候様にと存ぜられ境をしずめ、跡々の如く、二本松よりも入魂の体候。其存分…

『伊達日記』7:青木修理の証人替え

7:青木修理の証人替え 原文 一 築飯に御在馬の内、青木修理抱置候三人の者儀小浜へ内通に付、大内も人質返し候事無念に存ぜられ候へども、家老の者共の子を相捨候事も成らず候間、小瀬川と申処へ双方より罷出、御横目申請証人替仕候。 語句・地名など 現代…

『伊達日記』6:竹屋敷移陣と小手森攻め

6:竹屋敷移陣と小手森攻め 原文 一 廿七日昨日はまちまちにて落居申さず候へども、我等存分悪は之有る間敷と存。御意をも請けず、未明竹屋敷へ陣を移申候間、伊達上野介我等に引続陣を移申され候に付、惣陣を相詰べき由仰付られ、惣人数は備を立、夫兵は野…

『伊達日記』5:青木修理の内応

5:青木修理の内応 原文 一 同年七月初に米沢へ我等使を上申候て、猪苗代の義相違仕迷惑に存候。会津に御敵は御座無く候間、大内備前を御退治成られ然るべき候。御尤に思召候はば、大内家中に一両人も御奉公仕候様に申し合わすべき由申上候処に、会津へ御敵…

2018夏南相馬亘理

成実生誕450年企画! 南相馬での展示と亘理の展示に行って参りました! しかも日帰りです!(血反吐) 仙台からはいつもお世話になっているTさんがご一緒して下さいました!(≧∀≦) 8月12日 朝イチの新幹線で、東京から仙台へ。仙台着いたのが7時半過ぎ。8時に…

『伊達日記』4:猪苗代盛国の内応の結果

4:猪苗代盛国の内応の結果 原文 一 御弓矢思召の如く之無く猪苗代を引除候はば、伊達の内三百貫の堪忍分下さるるべき事。 右三ヶ條の外望も之無き由申越され候に付、書付を以檜原へ申上候はば、政宗公御覚*1成られ、書付の通少も御相違あるまじく候。弾正書…

『伊達日記』3:猪苗代盛国への内応条件

3:猪苗代盛国への内応条件 原文 一 我等以後に御奉公申さるる衆候共、会津に於いて御仕置の如き座上に差し置かれ下さるべき候。御譜代衆には搆之無く事。 語句・地名など 現代語訳 私(猪苗代盛国)以後に奉公をするという者たちがいても、会津に於いて仕置…

『伊達日記』2:二本松との境の状況

2:二本松との境の状況 原文 一 二本松境八町目に私親実元隠居申され候。二本松の義継より節々使を預御念頃候。会津・佐竹へ御一味候へども、元来二本松・四本松は何方へも弓矢強方へたのみ身を持たれ候う。此度も伊達募候はば、実元をたのみ伊達へ御奉公仕…

『伊達日記』1:政宗の家督相続、大内定綱の反逆、檜原への出陣

1:政宗の家督相続、大内定綱の反逆、檜原への出陣 原文 一、輝宗公御代は佐竹・会津・岩城・岩瀬・石川、何れも御骨肉の御間にて御入魂に候。右之御大名衆数年田村へ御弓矢成られ、清顕公御手結に候。政宗公御舅に御坐候へ共、輝宗公御代之間是非に及ばず御…

『政宗記』5-8:岩城へ景綱使者附成実異見

『政宗記』5-8:岩城へ景綱が使者となったことと成実の意見 原文 去ば今度対陣の無事を、常隆扱ひ給ひ相済ければ、自今以後仰合らるるのためにとて、景綱を岩城へ遣し玉ふ。大森迄罷帰と承、岩城の体を尋ね聞んがため、成実二本松より大森へ参る。故に景綱語…

『政宗記』5-7:三春番代附浪人払

『政宗記』5-7:三春の城代をさだめたことと浪人払いについて 原文 同八月十九日、田村月斎・同名梅雪・従弟右衛門・橋本刑部、宮森へ来て、「今度相馬義胤三春を取るべく、兵乱も北の方本城におはして、内通の故也、去程に北の方を隠居なさせ参らせ、政宗公…

『政宗記』5-6:最上より泉田安芸返し給事

『政宗記』5-6:最上から泉田安芸重光をお返しになられたこと 原文 去ば右にも申す、安積の軍前に最上義顕、両国境鮎貝藤太郎を語らひ、米沢へ手切なれば、今最上との戦なり。爾るに、義重・義広伊達へ再乱して、仙道へ発向し給ふ故に、政宗最上をば差捨、安…

『政宗記』5-5:岩城より無事扱事

『政宗記』5-5:岩城による和睦が成ったこと 原文 去程に佐竹義重は、岩城常隆・政宗扨成実には伯母聟なり、故に会津義広は、義重の次男にて、常隆・政宗へも従弟なり。爾るに、天正十三年乙酉十一月十七日に、義重本宮へ働き給ふに、会津・岩城・石川・白川…

『政宗記』5-4:窪田番手持附矢文事

『政宗記』5-4:窪田の守備の組み合わせと矢文のこと 原文 されば伊達より窪田に、取手やらひを取立給ひ然るべしとて、窪田の川を外に構ひ堀を堀、土手を築、柵を付けり。故に伊達の侍大将各召寄給ひ、取手の番を鬮取にさせ玉ふ。其衆は浜田伊豆・原田左馬介…

『政宗記』5-3:須賀川衆先陣辞退事

『政宗記』5-3:須賀川衆が先陣を辞退したこと 原文 かかりける処に、其頃須賀川よりの物頭に、須田美濃・矢田野伊豆・矢部下野・保土原江南・浜尾善斎以上五人也。然るを義重今度の戦陣をば、須賀川衆にと宣ふ。五人の者ども、「成実陣場に普請もなければ、…

『政宗記』5-2:陣場定事

『政宗記』5-2:陣場定めの事 原文 然して後、原田左馬介「今度の御陣場は、何方ならん」と申す。浜田伊豆「保沢の沼を御後に、西の原に好かるべし」と申す。伊東肥前「大軍と小勢とは、軍の作法御坐、無勢にて場好に御陣場に然るべからず、悪所を前に当て、…

『政宗記』5-1:安積郡山対陣事

『政宗記』5-1:安積郡山での対陣のこと 原文 去程に天正十六年戊子の六月、政宗二十二歳の年、四本松の宮森におはしければ、佐竹義重本宮にて、無手際なる遺恨解さずして、二度乱を起し、御子義宣、二男会津の義広、此三大将へ石川大和守昭光・白河義近・須…

『政宗記』4-9:大越退治訴訟之事

『政宗記』4-9:大越紀伊守退治の訴え 原文 去程に、月斎・梅雪・右衛門・刑部、また宮森へ来て原田休雪・伊東肥前・片倉景綱を以て申けるは、「大越紀伊守始より三春へ出仕もなく、今度義胤三春を取んとし給ふ術も、彼者一人の謀叛に仍て、未居城に引込ける…

『政宗記』4-8:義胤、田村取損給之事

『政宗記』4-8:相馬義胤、田村を取り損ねなさったこと 原文 同五月、政宗は大森に義胤は月山に御坐す内、田村の家来義胤へ尚も心を合せけるに、夫に又三春の城に御坐ける政宗姑母儀は、義胤の伯母にて御坐しけるが、其頃政宗へ恨みを含み、相馬へ傾き、田村…

『政宗記』4-7: 田村家老衆訴訟之事

『政宗記』4-7:田村の家老衆の訴えについて 原文 同四月、石川弾正逆意に付て、相馬へ傾く者ども伊達を守人々も、政宗時刻を移さず打出給ふべしと、田村にて積りけるに、左もなかりければ、何れも不審を立るは理りなり。然りと雖ども、政宗にも亦十分なる子…

『政宗記』4-6:会津より働之事

『政宗記』4-6:会津からのいくさのこと 原文 同四月五日の夜、大内備前伊達への蒐入降参のこと会津へ聞へ、会津の衆須賀川へ云ひ合せ、安積表へ打て出働きの由其聞へあり。故に片倉景綱に其旨告知せければ、時刻を移さず居城を打出、二本松へ来て信夫の勢を…