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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『伊達日記』67:三春での在陣

『伊達日記』67:三春での在陣

原文

一常隆義胤田村へ御出馬に付。若狭小十郎。我等。田村へまいり候へども。別而御働にかはる事も之無く候間。三人ともに三春在陣候而働御座候。表へは助候へども城へ小口がかり成共之無く候。小十郎と我等相談申候はば猪苗代弾正久しく御奉公申すべき由申上られ候へども。父子中わかり又二本松。塩の松。安積筋の御弓矢はか参り。猪苗代は大山へたたり候に付先相延られ候。阿子嶋高玉落居申候間。猪苗代の通路能成候。政宗公宇田より御帰候間右の三蔵軒を召連大森へ参御意に請。猪苗代へ指越申すべきと存候。爰許機遣之儀之無く候間同心申すべき候哉と申候。小十郎同心申され大森へ罷帰られ候。我等は其日は二本松へ罷帰候而翌日三蔵軒召連大森へ参。右の通申上候処に。内々是より仰せ付けらるべき由思し召され候砌。三蔵軒召連参られ候。是にて状をととのへ遣はすべき由御意にて小十郎我等状を認。右の御印判の相違有間敷候條。早々会津へ手切仕らるべき由申越。我等は廿八日に二本松へ罷帰候。三蔵軒は猪苗代へ参るべく。直に罷帰弾正事切申さるべき由申上候。

語句・地名など

現代語訳

岩城常隆と相馬義胤が田村へ出陣したので、白石若狭宗実・片倉小十郎景綱・私は、田村へ行ったのだが、特別に戦闘になることもなかったので、三人とも一緒に三春に在陣し、戦闘を行った。
表向きは援軍を出せたが、城への虎口を攻めるのが難しかった。
小十郎と私は相談するなら、猪苗代弾正はながらく伊達へ仕えるつもりであると言っているが、親子の意見が分かれ、仲違いしている。また、二本松・塩松・安積方面の戦闘は難しく、猪苗代へは大きな山が隔たっていたので、まず延期になった。阿久ケ島と高玉は落城したので、猪苗代の通路はよくなった。
政宗公は宇多よりお帰りになるので、前述の三蔵軒という僧侶を連れて、大森へ行き、ご命令をもらい、猪苗代へ送るのがよいと思った。
このあたりは心配することがないので、同行すればいいのではないだろうかと行った。片倉景綱は同行し、大森へ帰った。私はその日は二本松へ帰り、翌日三蔵軒を連れて大森へ参った。
以上のように申し上げたところ、うちうちにこれから命令するべきことを思われたので、三蔵軒を連れていらっしゃった。
これにて書状をつくり
送るべきとのご命令であったので、景綱と私は書状をしたため、政宗の印判は間違いないので、早く会津と手切れするべきであると伝えた。
私は28日に二本松へ帰り、三蔵軒は猪苗代へ行くために、直接帰り、猪苗代弾正の件の決着をするようにと申し上げた。

感想

戦の前の様々な下準備がされています。