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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『正宗公軍記』軍記類纂版

『正宗公軍記』2-10:相馬義胤、田村の城取損じ候事附石川弾正、御退治の事

『正宗公軍記』2-10:相馬義胤が田村の城を取り損ねたことと、石川弾正を退治したこと 原文 相馬義胤、築山に御座候て、弥弥田村衆申合され、右より御北様へ御内談と相見え、五月十一日、義胤より御使の由申し候て、相馬の家老新館山城・中村助右衛門と申す…

『正宗公軍記』2-9:石川弾正逆心仕り、相馬へ忠節の事

『正宗公軍記』2-9:石川弾正が相馬へ寝返ったこと 原文 田村の衆、相馬へ申合の衆も、伊達御忠節の衆も、石川弾正逆心仕り候間、正宗公御出馬なさるべき由、存ぜられ候へども、一切其沙汰これなきに付いて、月斎・刑部少輔、白石若狭を頼み、米沢へ申上げら…

『正宗公軍記』2-8:会津・須賀川衆、本宮へ働き、人取橋に於て合戦の事

『正宗公軍記』2-8:会津・須賀川の者たち、本宮へ赴き、人取橋において合戦が起こったこと 原文 右の段は、石川弾正逆心の次第、田村御洞の様子書記し候。安積表の事は、四月五日の晩、大内備前、不図懸入り候て、会津衆、安積へ罷出でられ、須賀川衆と申合…

『正宗公軍記』2-7:大内備前御訴訟相済み御目見申され候事

『正宗公軍記』2-7:大内兄弟の件が落着したこと 原文 同年三月廿三日、玉の井の合戦見候て、帰り候小十郎は、大内備前・片平助右衛門罷出でられ候を、相待たるる由にて、二本松へ罷越し候て、逗留致し候所に、四月五日の晩に、かち内弾正と申す者、大内備前…

『正宗公軍記』2-6:玉の井へ敵地より草を入れ候事

『正宗公軍記』2-6:玉の井へ敵地から草を入れたこと 原文 天正十六年三月十二三日の頃、成実抱の地、玉の井と申す所に、高玉より山際に付いて、西原と申して四五里、玉の井より隔て候所へ、はい草を越し候所に、玉の井の者共、兵儀なく遠追ひ候て、罷出で候…

『正宗公軍記』2-5:大内備前、御下へ参りたく御訴訟申上げ候事附同人苗代田へ再乱の事

『正宗公軍記』2-5:大内備前、政宗の配下になりたいと訴えてきたことと、苗代田への再びの襲撃のこと 原文 天正十五年、最上・大崎は御弓箭に候へども、安積表は先づ御無事の分にて、何事もこれなく候間、苗代田・太田・荒井三箇所は、成実知行致し候。敵地…

『正宗公軍記』2-4:黒川月舟身命相助けられ候事附八森相模御成敗の事

『正宗公軍記』2-4:黒川月舟斎が命を助けられたことと、八森相模を成敗なされたこと 原文 黒川月舟逆心故、大崎の御弓箭、思召され候ようにこれなきに付いて、内々月舟御退治なされ、大崎へ御弓箭なさるべき由、思召され候へども、佐竹・会津・岩城・白川・…

『正宗公軍記』2-3:下新田に於て小山田筑前討死附伊達勢敗北の事

『正宗公軍記』2-3:下新井田において、小山田筑前が討ち死にしたことと伊達勢敗北のこと 原文 氏家弾正は、伊達の御人数遣さるべき由、御意候へども、今に村押の煙さきも見えず、通路不自由故、何方よりの註進もこれなく、今や今やと相待ち、二月も立ち候間…

『正宗公軍記』2-2:氏家弾正、義隆を恨み奉り、伊達へ申寄り御勢を申請け一揆起し候事

『正宗公軍記』2-2:氏家弾正、義隆を恨み、伊達へ言い寄り、援軍を受け、一揆を起こしたこと 原文 氏家弾正所存には、扨々移り替る世の中にて、刑部一党、伊達を賴入り、義隆へ逆心を存立て候砌は、拙者一人御奉公を存じ詰め、名生の御城籠城たるべく候間、…

『正宗公軍記』2-1:大崎義隆御家中叛逆を企て義隆公を抱へ置く事

『正宗公軍記』2-1:大崎義隆の家臣たちが反逆を企て、義隆公を留め置いたこと 原文 天正十四年丙戌、二本松・塩の松御弓箭落居の上、八月、米沢へ御帰陣なされ候所に、大崎義隆御家中、二つに割れ候て、正宗公へ申し寄り候。根本は其頃、大崎義隆に、近習の…

『正宗公軍記』1-5:佐竹義重公・岩城常隆公・石川昭光公・白川義近公仰合され、須賀川へ御出馬、伊達一味の城を御攻め候事附右合戦に付伊達加勢遣され、観音堂に於て、茂庭左月を始め討死、成実手柄の事

『正宗公軍記』1-5:佐竹・岩城・石川・白川が須賀川へ出陣し、伊達の城を攻めたことと、観音堂での軍で茂庭左月らが討死したこと、成実が手柄をたてたこと 原文 霜月十日の頃、佐竹義重公・会津義広・岩城常隆・石川昭光公・白川義近仰合され、須賀川へ御出…

『正宗公軍記』1-4:二本松義継降参の事附輝宗御生害の事

『正宗公軍記』1-4:二本松の畠山義継の降参の事と、輝宗が殺されたこと 原文 九月廿六日、正宗公、小浜の城へ、御馬を移され候所に、二本松義継より、拙者親実元方へ、仰せられ候は、代々、伊達を頼入り候て、身上相立て候へども、近年、会津・佐竹・岩城よ…

『正宗公軍記』1-3:青木修理御味方仕り、塩の松、御手に入り候事

『正宗公軍記』1-3:青木修理が味方になり、塩松が手に入ったこと 原文 天正十三乙酉七月初に、米沢へ、拙者、使を上げ候て、猪苗代の儀、相違仕り候て迷惑に存候。会津に御敵は御座なく候間、大内備前を御退治なされ然るべく候。御尤に思召され候はば、備前…

『正宗公軍記』1-2:大内備前、別心の事附会津義広御表裏に依り御弓箭を起す事

『正宗公軍記』1-2:大内定綱、反逆のことと会津義広の態度の相違により戦になったこと 原文 天正十三乙酉、大内申上候は、雪深く普請も成り難く候間、御暇申請け、在所へ罷帰り妻子を召連れ、伺候申すべく候。其上数年、佐竹・会津御恩賞相請け候御礼をも、…

『正宗公軍記』1-1:正宗公十八の御年、御家督御継ぎなされ候事

『正宗公軍記』1-1:政宗公が18歳の時、家督を継がれたこと 原文 伊達大守輝宗公御代は、佐竹・会津・岩城・石川、何れも御一門中間にて御入魂に候。右の御大名衆、数年、田村へ御弓矢なされ、田村清顕公御手詰に罷成候。正宗公の御舅に御坐候へども、輝宗公…

『正宗公軍記』軍記類纂版・目次

『正宗公軍記』軍記類纂版 解題 正宗公軍記 二巻 本書は、伊達政宗が、奥州に於ける軍事を記したものなり。内容は、政宗十八歳にして家督を継ぎ、付近の大名を切従へ、数度の合戦に勝利を得、結局政宗一人、威を東北に振ふ次第を記したり。此の書、黒川蔵写…