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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

政宗作原田宗時追悼歌の表記について

はぎ様とTwitterにて、『政宗記』と『治家記録』で、原田宗時追悼歌の表記が微妙に違う?という話になりました。はじめ気づいたのが三首目の「馴れにし友」(『治家記録』及びそれを参考にした書物。『政宗の文芸』とか他の歌関連の本)「馴れにし夢」(『政宗記』)となっていて、誤植か、誤字かなあと言っていたら、他の部分の表記もわりと違ったので、改めてチェックしてみました。
『貞山公治家記録』で該当部分チェックしようとしたらあいにくコピーしそこねてたことに気づき…(泣)。貞山と性山と義山ぐらいでいいので欲しい…マジで…全部はいらんけど…(泣)。
参考にした『伊達政宗卿詩歌要釈』は、昭和10年に歌の同人の方が出された政宗の歌の注釈書です。意味はそのまま引用、付記は興味深いとこだけ転記しました。いろいろ政宗の言葉の使い方とか解説してあるのですが、まだきちんと読んでおりません…。

原田宗時追悼歌(『伊達政宗卿詩歌要釈』より)
文禄三年原田左馬介二十九歳、於対馬病死、公哀傷の余六字を句の上に置いて御詠。(真山記)


・なつ衣 きつつなれにし 身なれども 別るる秋の ほどぞ物うき
意味:多年、家来に先だたれ、先だたれては来た自分だけれど、物悲しい秋に於ける近侍との別れは特にツライ。
「唐衣きつつ馴れにし妻しあれば(伊勢物語)」の句を採った。

・虫の音は 涙もよほす 夕まぐれ さびしき床の 起伏も憂し
意味:秋虫が鳴いて何となく哀愁の涙をそそる夕暮、淋しく暮すのナンカは実際ツライもんだ、元気な人気者が死んだ後は。
「淋しき床」と打出したのは異常の淋しさたるを暗示する。其の異常が即、哀悼の異常を知らせる。

・あはれげに 思ふにつれぬ 世のならひ 馴れにし友の 別れもぞする
意味:噫、思ふに任せぬ世の定なる哉。親しく仕へてきた多年の近臣が死別したのは。

・見るからに 猶あはれそふ 筆の跡 今日よりのちの 片見ならまし
意味:見るに伴れて一層の哀しみがコミアゲて来る故人の筆跡よ。見るのはツライけれど、大事な記念品と思へば、疎略にする気になれぬ。

・だれとても 終には行かん 道なれど 先たつ人の身ぞ あはれける
意味:誰だって早晩死んで了ふに決まっているけれど、先に死ぬ人が一番気の毒だ。
これで若い家来に向かっての美しい愛情が十分発はされた。

・ふき払ふ 嵐にもろき 萩の花 誰しも今や 惜しまざらめや
意味:強く吹捲る嵐に、一溜も無く吹散らされる萩の花=夫れ=に喩へられる近侍の死。あいなく死んだ斯うした跡を誰だって惜しまずには居れまい。
勿論萩の花は原田で、隠喩法にしたのだ。花に喩へたのは原田を美化して居り、実際、上の句の綺麗なのが原田を綺麗に描いた訳になって其の死がまた大変悼まれる訳に成る。

伊達政宗卿詩歌要釈』
鈴木栄一郎・千坂庸夫/昭和10年/仙台扶搖会
政宗の歌・漢詩380あまりを集めて注釈をつけたもの。

ちなみに『政宗記』の記述はこちら。

かかりけるに、伊達の家老原田左馬介、腫気を煩ひ釜山海にて死す。法名学叟覚円居士。政宗是を哀に覚え、六字の名号を頭に六首の和歌、
夏衣きつつなれにしみなれども別るる秋の程ぞ物うき
蟲の音も涙催す夕ま暮淋しき床の起臥はうき
哀れけに思ふにつれぬ世の習ひ馴にし夢の別れおぞする
みるからに猶哀れそふ筆の跡今より後の形見ならまし
誰迚も終には行ん道なれど先立つ人の身ぞ哀れなる
吹払ふ嵐にもろき萩の花誰しも今や猶まさるらむ
(『政宗記』8「赤国合戦、附政宗御感状」より)

わりと意味が違いますよね…。細かいことですが、詩ですから、一字一字拘りがあるものなのだと思うので。
宗時死後政宗が詠む→成実がいつかの時点で書き記す→その後政宗が推敲する→政宗死後『政宗記』に記される→その後政宗の最終稿を発見→治家記録編纂のときに表記を直した?
という順序だったりするのでしょうか?