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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』89:会津での騒動①

『伊達日記』89:会津での騒動①

原文

会津御留守の内。二三夜程さはぎ候よしに候。我等は存ぜず候処に。宝尺と申山伏我等所へしらせ申候は。若松中以の外さはぎ。夜に入候へども方々へ荷物を落。昼の商も能様なる物は出し申さず候由申候。如何様の義を以さはぎ候とたづね候へば。会津に替衆候て越後の人数を引越候由申候而さはぎ候由申候。左様の義は何者其方には申候とたづね候へば。世上かくれなき由申候。一人を指申さず候はば是非死罪に申付べき由申候処に。我等は米沢より御供仕参候間。笑止に存しらせ申由申候。弥左様に候はば人を申すべき由申候へば。馬場頭に居候七右衛門と申もの物がたりを承候由申に付。十九人目に伊藤七郎屋敷の女房へ引付候。伊藤七郎は小田原御供に参留守に候。門の脇に牛之助と申中間御座候。用心の為広間より鑓を取参候を。彼女房見申候而。扨は何事も候哉と存候て。希求に参候肴売に物がたり申由申候。其より申伝え若松中の騒に成候間彼女房成敗仕候。

語句・地名など

現代語訳

政宗が会津を留守にしていらっしゃる間、二三日ほど騒いでいたということを私は知らずにいたところ、宝尺という山伏が私の所へ知らせてきたところ、会津中が想像以上に騒がしくなっています。夜になっても方々へ荷物を隠し、昼の商いにおいてもいい物は出さず、隠しているという。どういうことで騒いでいるのかと訊ねたところ、会津に心変わりした者がいて、越後の軍勢を引きつれ、攻めてくるというので、騒いでいるのです、と行った。
そのようなことは、一体だれがおまえに言ったのかと訊ねたところ、みんな知っていますと言った。その問題の一人を言わないのであれば死罪にするぞと言ったところ、宝尺は米沢から御供してきた身であるので大変だと思い知らせたというのに、と返した。
さらに誰か一人を教えろと言ったところ、馬場頭の七右衛門と言う者が話していたと言った。19人目に伊藤七郎屋敷の女房にたどり着いた。伊藤七郎は小田原参陣の御供についていっており、留守であった。門の脇に牛之助という中間がいた。用心の為広間から鑓を持って出たのをその女房が見て、さては何事かおきるのだろうかと思って、やってきた肴売りに語ったのだという。それから伝わり、会津中の騒ぎになった。そのためこの女房を死罪にした。

感想

政宗がいない間、会津ではいくつかの事件が起こりました。これはその一つ目。
女が言い始めた言葉が広がり、越後から攻めてくるという噂で町中が騒ぎになってしまった…という事件。
結局、この女性は死罪にされてしまいました。
この「噂によって事件が起こる」というのは、輝宗事件を思い起こさせます。輝宗事件、近侍していたのにどうにもできなかった経験がこれほど苛烈な決断をくだすきっかけになったのでしょうか。