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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『名語集』跋文

『名語集』跋文
(*不完全なので、コピペなどはやめといた方が吉です。下線は文章の意味がわからなかったところ。間違いなどご指摘いただけたら幸いです。

原文:

さるほどに、かれこれの騒がしきまぎれには、皆人さほどになかりしが、御仏事故なう過ぎゆくままに、何となく、世の中しづやかに、大火を打ち消したるごとく、隙明きたるようになりゆく。またあらぬ胸騒して、如何に成りゆく身のはてぞと、日にしたがひ、夜にまして、御こひしさは、君のおもかげ、いにしへの友どち、一人二人寄りあひて、語りくらし、泣きあかしぬ。
普天の下、王土にあらずという事なし。御領中のもの、いずれか忠宗の者ならざる。しかれども、御小姓より御奉公の衆とて、臂をたて眼を大きにするを見ては、いつとなく、もの悲しく、あはれ、此の頃まで、かくはなかりしものをと、思い出し、君の御恵あまねくして、喜び身にすぎ、楽しみ身にあまり、我れ人、御奉公に忠をなしゆかば、御恩賞にもあづかり、身の栄華をもせんと、心をいさめ、或る時は、野山狩りに家路を忘れ、または春の花の咲きちり、秋の木の葉落つるゆふべ、歌をつらね詩を吟じて、もじのたのしみも、時うつり、代かはるならい、楽しみつきて、悲しみきたり、諸人新参となり、いつしか引きかへて、時の出頭人の前に、媚をなし、膝の前に塵を払ひ、草の露、水の泡の消えのこる身ながらも、秋の野の女郎花の、一時をくねる心ぞ、かひぞなき。きのふは栄え、けふは衰へ、世を過ぎわぶるありさまなれば、親しきも疎くなり行き、身はくれ竹のうきふしを人に語り、よしのはを引きて、世の中を恨み、人の交りもたまさかなれば、肩身すわりて見ぐるしく、人も後にはいやしめり。これにつけ、かれにつけても、御跡を恋ひ奉ること限なし。夢にも君を見奉りては、楚国の羊飛山にて、邯鄲の枕の栄華さめし、盧生が悲しみも、思いやられ、涙とともにあかし暮らす。
さてまた、いにしへ住みなれさせ給ひし若林のありさまを見るに、御ものずき、世にこえ作り、磨かせ給ふ御屋形も、一とせの内に荒れはて、庭には草茫々と、露繁くなり行くをも、たれ打ち払ふものもなく、日頃、水をたのしみおぼしめし、遣水のたより、おもしろう所々にかけ入れたまふも、流れたえ、池には真菰生ひしげり、はらふ者もなければ、荒はてて、島のめぐりくづれはて、うろくづもすみうく、水鳥も羽をやすめえず。折にふれ、時にかなふ四季の御殿も、かなたこなた崩れはて、狐狼野干のすみかとなりけるぞ、うたてける。そのほか、それぞれの奉行、頭人、諸侍の屋敷々々も形ばかりにあれはて、草ふかき野べとぞなりにける。一人世をさり給ひ、万民の嘆きとなり、目も当てられぬ次第なり。年月とほく立ちゆけど、露忘れぬ御面影、忠宗公の御恩も浅からず、大慈悲の君にてましませば、おしなべて忝き御心ばせ、昔にかはらぬ事なれども、身の衰へは、月日にまし、よろづ心にまかさねば、今さらおどろくばかりなり。
我れは、かやうなる愚痴無智者、はかな心に、神や仏をうらみねたみて、つれなき命をめされよと、あらまし事を申すにぞ、おもひのほどは知られたり。誠にとりあつめたる筆の跡、卑しきわが身にあはせて、前後もさらにふつつかに、口にまかせて書きつくれば、物狂はしき心とや、見る人はおぼさん。これ全く人のためならず、君の御別れかなしくて、せんかたなきままに、昔語のほどをへば、忘れやせんと、秋の夜の長き寝ざめの独言、春の夕べの暮れがたきつれづれ慰むたよりにも、まさしく見聞きし事どもなれば、ところどころかきおきて、ことばのたらぬ所をば、我心にてさし加へ、気をものべんためばかり、一々に書きしるさば、筆もおよばぬ事どもなれども、心ありて口にいです、詞つづき、片言にしてあらぬさまなれば、遂に書きやみぬ。誠に君の御詞のたね、我身にちかきゆえ、かへりてかきよごしはんべりぬ。

現代語訳

なので、かれこれといろいろ騒がしいことがあって気が紛れているうちは、みんなそれほどではなかったのだが、法要などが差し障りなくすぎていくにつれて、何となく、世の中がしずかに、大きな火をうち消してしまったかのように、隙間が空いてしまったようになった。また不安な胸騒ぎがして、自分の身はどうなってしまうのだろうと、日が経つにつれて、夜は特に、恋しさに、主のおもかげを想い、昔からの友人同士がひとりふたりと集まって、語り暮らして、泣き明かした。
この全宇宙の下にある王土は、すべて王の物である。
領内の者出、忠宗公のものでないものはない。だが、小姓のころから仕えてきた者たちも臂を立て、目を大きくする(態度がかわってしまうの意?)のを見ては、いつまでもものがなしく、寂しい。最近まではこのようなことはなかったものをと思い出し、主の慈しみがすみずみまでいきわたっていて、その喜び、楽しみは私の身に余るほどであった。奉公に忠をささげれば、恩賞もいただけ、豊かにもなれるだろうと、心を勇気だたせ、頑張った。
あるときは野山狩りに家への帰り道を忘れ、春の花が咲き散る日、秋の木の葉落ちる夕べに歌を連ね、詩を吟じて楽しんだこともあったが、時代がかわり、代がかわる定めで、楽しみがつきて、悲しみがやってきた。みな人は新しい者となり、いつのまにかすっかり変わって、時代の支配者に媚を売り、膝の前に塵を払いうような、草の露や水の泡の消え残るような儚い身ながら、秋の野の女郎花のように身を曲げてひがんでも仕方がない。
昨日は栄え、今日は衰え、世間を生きづらく思う様子なので、親しい人とも疎遠になっていき、私は自分の身の節を艱難辛苦として人に語り、葦の葉をひいては世の中を恨み、人との交流も少なくなってしまったので、肩身が狭くてみっともなく、付きあってくれた人もあとでは嫌がっていることだろう。
なにを見ても、主の思い出を懐かしく思うことはかぎりがない。夢にも主を見て、楚の国の羊飛山で、邯鄲の夢を見た盧生の悲しみも自然と想像できて、涙とともに明かし暮らしている。
また、昔お住まいであった若林の屋形のありさまを見ると、風流で名声をとっていた御屋形も、一年の内に荒れはててしまった。庭には草が生い茂るようになっていくのを誰も打ち払う者がおらず、日頃水を楽しんだ遣り水が趣深くしつらえてあったのも、流れが絶え、池には菰がおいしげり、払う者もいないので、荒れはてて、島のまわりも崩れ果てて、魚も住みづらくなってしまい、水鳥も羽を休めることもできない。季節に応じて、風情をこらした四季の御殿も、あちらこちらが崩れ果てて、狐や狼や野干(不明)のすみかとなっているのは、なげかわしいことだ。そのほか、若林の周りにあったそれぞれの奉行・頭人・侍達の屋敷も荒れはて、草深き野原となってしまっている。たったひとりがお亡くなりになったことが、すべての人の嘆きとなり、あまりにもひどくて見ていられない様子である。たとえ年月がたってしまったとしても、主の面影をわすれることはない。
忠宗公のお情けは深く、素晴らしい慈悲の主でいらっしゃるので、恐れ多い配慮は昔とかわらずいただいているが、自分の身の衰えは日に日に酷くなり、すべて自分の思い通りにならないので、今改めて気付くほどである。
私はこのような愚かで無知な者である。とりとめもなく、神や仏を恨みねたみながら、つれあいのいない命をお召しになってくださいと、おのれの希望を言うのを聞けば、私の思いの程度はわかってもらえるだろう。本当に取り集めただけの文章は、身分卑しい私の身と同じで、順序も筋道もぶかっこうなままで、いいかげんに書いたので、気がおかしいと、きっと見る人は思うだろう。この書を書くという行為は全く人のためにしたのではない。君とのお別れが悲しくて、どうしようもなくて、昔話の様子をわすれるものかと、秋の夜の長き寝覚めの独り言や、春の夕べの暮れがたき無聊を慰める手紙などで、本当に見聞きしたことを書き記した。あちこちに書き記し、言葉の足りないところを、私見にて加え、気分を晴らすためだけに、一々に書き記した。私の筆力では到底及びませんが、思うところあって口にできず、言葉の続け方も片言で、ひどいありさまなので、ついに書き終わりました。本当に、君の御言葉の根本が私の身に近いので、思い返して書き汚しいたしました。

メモ:

・「普天の下、王土にあらずという事なし」は平家物語・2からの引用か。さらに見ると、中国の『普天之下、莫非王土(普天の下、王土に非ざるは莫し=全宇宙の下にある王土は、王様のもの。』という句および思想が出てくる。(『詩經』小雅より。この句はとても有名で『左傳・昭公』、『孟子・萬章上』、『荀子・君子』、『韓非子』、『呂氏春秋』など、多くの古代の書に出てくる)平家物語は確実に読んでるとして、興味深い。
・草の露、水の泡の消えのこる身:儚い例え。古今和歌集仮名序より。古今和歌集はやっぱ必須なんですなあ…。
・楚国の羊飛山にて、邯鄲の枕の栄華さめし、盧生が悲しみ:能『邯鄲』より。夢落ちの代名詞。
・つれなき命:現代語の「つれない=冷たい・そっけない」ではなく、人の「心」が、死んでしまいたいほど悩んだり、悲しんだりしているのに、「命」はその「心」に無関心・無情で、死んでくれない、そういう「心」と「命」の裏腹な関係を「つれなき命」と表現した、らしいです。源氏物語とか。

感想:

そして愛にあふれた跋文です。てか本当これすごいです…。愛にみちあふれててもうなんか当てられそう…。そう言えば十数年前古文の先生にこれを読ませたら「これを書いた人は本当に主のことを愛していたんだねえ…。ものすごい愛の文章だよこれは…」と感動されたことがあります(笑)。
野山の狩りに〜からの思い出のところはもうホント情景が浮かぶようで本当に美しい。てかやっぱりこれ時宗丸じゃ…藤五郎じゃ…。狩りに一緒に行ったんじゃろ…?
そして自らの衰えや周りの人からも疎まれはじめてることを感じていることなんかから見ても、やっぱりこれは若い人の書ける文章ではないと思うのですよ。
で、夢見て起きて夢だって気づいて「恋い奉ること限りなし」ですよ…。んで泣き暮らしてる。
誰だかわかりませんが!(笑)この人は政宗が死んで本当に本当に落ち込んで、つらかったのだ、ということがわかります。当時の忠誠心が私達の思うものとはかけ離れているだろうってことは重々承知の上で、人ひとりなくしてこれだけ哀しむ、この人が主をとてもとても愛していたことだけはよくわかります。
そして、人に伝えるためにではなく、思い出すために、忘れないために、この人は筆をとったのです。
「誠に君の御詞のたね、我身にちかきゆえ」のところに、この人の密かなプライドを感じるのは、私だけでしょうか。
やー本当に誰なのでしょう…! 気になりますね!