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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

【陳謝】コメントについて/実盛と人取橋と左月斎

40日も前に、『名語集』40:能を観て感泣すにコメントをいただいていたのに、たった今気づきました…。
通りすがり様、誠にありがとうございます!(泣)
当時はコメントを承認制にしていたのですが、その後誰でもコメント出来るようにしたので、コメント欄に表示されずにずっと…そのままだったのです…orz ホントすみません…。
で、通りすがり様が下さった貴重な情報が!

斎藤別当実盛は鬼庭左月斎良直の先祖といわれております。
両者ともに老骨に鞭打って軍神のような働きを見せ討ち死に、と生き様がそっくりです。
かつての激戦と左月斎の死に際を思い起こして実盛と重ね合わせ、号泣といったところではないでしょうか。
実盛も定家も藤原氏ゆかりの物語だからこそ源氏平治の能よりも強く共感したのでしょう。
政宗と成実は氏を殊に大事にする傾向がありますから。

えっ! 鬼庭家って斎藤氏と関係あるの!!??<もの知らず…
早速Wikipediaさんに聞いてみた。

「斎藤実盛の近親であるという山城国愛宕郡八瀬の住人・斎藤実良を初代とする。
実良の養子・基良(多田満仲の後裔と称す)は、平治の乱後の混乱を避け八瀬を離れてはじめ下総国佐倉、次いで下野国那須へと移住し、建久3年(1192年)に基良の子・実良が陸奥国伊達郡茂庭に土着する。伝承では、茂庭村近くの飯田沼に棲む大蛇が生贄の乙女を求めて伊達・信夫を荒らしまわっていたので、実良が奥州に下って大蛇を射殺し、この時に村の名を茂庭から鬼庭(おににわ)に改め、実良も斎藤から鬼庭に改姓したとしている。鬼庭氏はその後同地の領主・伊達氏の家来となり、南北朝時代に伊達宗遠が出羽国長井郡に侵攻した際には鬼庭勢がその先鋒を務めるなど、伊達家譜代の臣として仕えていた。
鬼庭氏が伊達家の重臣としての地位を確立したのは、一族の家格を与えられた戦国時代の第13代当主・良直(左月斎)以降のことである。良直は永禄7年(1564年)に当主となった伊達輝宗により評定役[1]に抜擢されて伊達家の内務全般を取り仕切るようになり、外交面を担った遠藤基信と共に輝宗政権の中核を成した。」
wikipedia「茂庭氏」の項よりコピペ

し、しらなかった…!! やー正直まだ全然調べられてない*1んで、いろいろお教えいただいて嬉しいです。
私は二人は戦場で死にたいと思って泣いた…とか、若き日を思い出した…とか、今の自分のふがいなさをなんとなく感じて泣いた…とかいろいろ想像してたんですが、鬼庭左月を思い出して泣いた…!!は絶対ありそうですね…!! あと伊場野遠江*2とかもね…。もっと人生の悲哀を感じさせる哀しい涙かと思っていましたが、左月思い出して泣いたとしたら、一気にかわいいエピソードに…!(笑) うわーん、左月ー! 遠江ー!とかだったらすごいかわいい…(笑)。綱元はその場にいたのだろうか…? 綱元いたら、綱元も一緒に泣いていたかもしれませんね。(そしてフォローに困る近習たち…)
私は左月といえば亡きいかりや長介さんのイメージで完全に!固定されております。基信と将棋(か囲碁)しながら相談してたり、輝宗に殉死した基信にすがって泣く姿を思い出します。いかりやさんは素晴らしい具現者さんでした。
三途の川で「まだかのう…」「おそいぞ、左月ー」とかいいながら、左月を待っている輝宗&基信とか想像…。

*1:何しろ政宗の子どもすらまともに全員把握できてすらいません…

*2:成実の老家臣。同じく人取橋で戦死。