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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

くじ引きと小十郎@窪田合戦

今回はちょっと軽めに、おもしろエピソードのひとつ(笑)、【くじ引きと小十郎@窪田合戦】を上げてみたいと思います。
景綱と成実はお互い親愛の度合いが(比較的)高かったようで、片倉家の記録『片倉代々記』景綱譜・重綱譜にもよく登場し、わりと好意を以てかかれているように感じます。ええ、仙台城下のお屋敷もお隣ですよね。あれ萌えますよね。身分違うくせに!
そして成実のかいた『政宗記』『成実記』にも小十郎は何度も出てきますが、その中に、小十郎の人柄を感じさせるようなエピソードがたまにあります*1
その内のひとつ、【くじ引きと小十郎】です。

(天正16年7月1日)
窪田取手要害が完成したので、今日から8名の侍大将達に二人ひと組で4交代で番をするように命令した。組み合わせはクジで決めることになった。
メンバーは濱田伊豆景隆・富塚近江宗綱・原田左馬助宗時・遠藤文七郎宗信・片倉小十郎景綱の5人と、その場にいなかった伊達藤五郎成実・田村孫七郎宗顕・白石右衛門宗実の分を合わせてクジを引かせた。
結果、宗実・小十郎/近江・文七郎/左馬助・伊豆/成実・孫七郎…という組み合わせになった。
しかし、ここで小十郎が進み出て、「クジ取りで決定しましたが、私は成実と同じ組にしていただきたい」と言上してクジを取り替えた。これによって宗実は孫七郎と同じ組になった。
このことは全軍で話題になって、小十郎が相手を嫌って成実との組み合わせを望んだのは、当番の時合戦がきっと起こるだろうと思って、組替えを望んだのだろうと、人々は噂した。
(貞山公治家記録巻の六天正十六年七月一日条の記事より現代語訳)

成実の方からは『政宗記』第5巻「窪田番手持附矢文事」に、

「御前にての鬮なれども、今度の御恩に某をば成実と組み合わせ下さるならば、有り難く候べき」とて頻の訴訟につきて相済、鬮を取り替え…

とあります。
つまりは、

「殿の御前で行いました鬮ですけれども、もしよろしければ成実様と組ませてくださるなら嬉しく思います」

とでもいったのでしょうか…。
頻の訴訟ということはなんどか却下されつつ複数回懇願した…ということ…?
小十郎…クジを引く前にいえよ…。むしろクジを作る前にいえよ…と遠い目になる政宗が見えるようです…。
その続き、『政宗記』には

さて後に聞けば、小十郎相手を嫌うは、合戦を望んで其分けならんと、御方の惣軍唱えける由。
「さてあとできくと、小十郎が組み合わせの相手を嫌ったのは、合戦に際してその分け方はよくないと思ったのだろうと、もっぱらの噂であったようだ」

とかいています。
ええ、戦略を考えた組み合わせなのかもしれません。
「白石さんより成実がいい!」っていうただのわがままではないのかもしれないです…
ですが…ですが!
でも…小十郎…やっぱ…後出しはあかんよ…(笑)。
「希望の組み合わせがあるなら、クジを作る前に言え」by政宗みたいな…。

*1:あと「小十郎が助けた子ども」とかステキなのがあるんですよ〜(笑)