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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』59:成実の意見

『伊達日記』59:成実の意見

原文

一奥州の作法にて御無事御扱候衆へ双方従り御礼仰られ候に付。片倉小十郎を岩城へ御礼指越され候。罷帰られ候砌我等大森へ罷越。小十郎に岩城の様子相尋候へども。小十郎申され候は。小野大越本意背き岩城を頼入候故。上下共の心中田村へ頼をかけ候と見え候間。来年は必岩城は敵に成るべき由申され候。我等申候は。御手延に成られ岩城より手切候はば。田村の内春中相馬へ申合候衆数多候。其もの共末々身上を大事に存。又岩城へ御奉公申候はば田村の御抱成りがたく候。去年大内備前御奉公の砌。片平助右衛門御奉公仕るべき由申され候へども。如何様の儀に候哉相違申候。唯今は助右衛門も後悔すべし候間助右衛門を召出され。此方より御再乱候はば。縦岩城敵に成候とも御弓矢成られ能有るべきの由申候へども。小十郎挨拶は之無く候。我等は二本松へ日帰に仕候。

語句・地名など

現代語訳

一、奥州の作法にて、和睦を取り仕切った衆へ、双方からお礼を仰ったのに合わせて、片倉小十郎景綱を岩城へ御礼のために送られた。帰ったころに私は大森へ行き、小十郎に岩城の様子を尋ねた。小十郎は「小野・大越が伊達に背き、岩城を頼るようになった。みなは心の中では田村へ頼ろうとしていると思われるので、来年は必ず岩城は敵に成るだろう」と言った。私は「延期にされ、岩城から戦を仕掛けられたなら、田村の家中は春の内に相馬へ言い合わせている者たちは数多い。その者たちは未来のことを大事に思い、また岩城へ奉公するのならば、田村を押さえるのは難しいだろう。去年大内備前定綱が寝返ったとき、片平助右衛門親綱も奉公したいということを言ったが、どうなっているのだろうか。約束を違えて、いまは親綱も後悔しているだろうから、親綱を召し出し、こちらから戦を再度仕掛けたならば、たとえ岩城が敵になったとしても、戦をされても上手くいくだろう」と言うことを言ったが、小十郎は何もいわなかった。私は二本松へ日帰りした。

感想

岩城常隆が和議を取り仕切った後のことです。
景綱と成実の会見の時の話が書かれています。この二人は本当にちょくちょく気軽に会いに行ったり帰ったりしていて微笑ましい。