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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『名語集』解題【仙台叢書版】

本書は伊達政宗卿の言行録とも見るべきものにして、其一生の行実は細大漏らさずこれを述べ書したるも何人の手に成りしか明かならざるは遺憾に堪えざる所なり顧ふに其記述の状況よりすれば側近く召仕はれたる人々の手に成りしものの如し且其臨終前後における不思議なる事を記載したるの外遺骸帰葬の途次護送の人々の詠草及び殉死の人々の詠草をも併記したるは世に有り難きことにて本書の外は他書に之れ無き所なりとす蓋し其主文を好めば亦其流風に化して文を善くするもの此の如し怪しむに足らざるなり是れ三百年文化の郁々として盛なりし所を知るべし本書の原文は之を大槻博士家の蔵書に拠れり因て其確実なるを証す。

名語集

此書は伊達政宗卿の言行を記したるものなり。元禄十六年に編輯の成りし。伊達家の治家記録の引用書目に。
一名語集ー又命期集ともあり。作者知らず。或いは是も伊達成実の記なりとも云ふ
とあり。御命期集ともあれど。卿の言行を載せたるものなれば。名語集が正しきなるべし。命語とは末に卿の臨終の情態を記したれば。耳にめいごと聞ゆるを。命期に思ひ寄せたるなるべし。
作者は右の引用書目に。伊達藤五郎成実なりとの伝説もありしと見ゆ。政宗卿は寛永十三年七十歳にて薨ぜられ。成実は正保三年六月四日。七十九歳にて逝去せれば。年代は合へり。書中の記事近親の人ならねば。看取し得ざる微細に渉れり。且其言行の意味ある所に着眼摘記せしなど。成実ならむもしるべからず。但し末の臨終の記事に至りては。侍女などの書きつぎしものかと。思はるるふしなきにあらず。
本書数百年来。転々伝写したるものなれば。語(ママ)字脱字等多し。数十年数種の写本を求めて。対校したれど不分明なる所あり。其写本中に。天和三歳五月九日としるしたるあり。(政宗記と題せり。仙台の小倉進平氏蔵す。)

明治四十二年八月 大槻文彦謹記

仙台叢書版の『名語集』解題です。『名語集』著者について、で、触れました、大槻文彦博士の文です。
明治42年(1909)の時点での考察です。

  • 近習の家臣(「人々」と複数形で書く)によるもののようだとする。
  • 臨終前後の怪奇現象を記載してある点、帰葬の過程・護送人・殉死者達の歌をも併記してある点を貴重であると評価。
  • 主が文を好めば家臣もそうなった例であるとする。
  • 成実であろうと推測するが、臨終の際の描写は侍女の書き継ぎの可能性もあると指摘。

個人的感想:
前述の高橋先生による解題のエントリのときには、大槻博士のこの文を読んでいませんでした。
で、大槻博士が指摘したのは、臨終の記事あたりのことだったのですね。
高橋先生もおっしゃるとおり、「女性の手が入っているのではないか」と思われる論拠は「文体及び内容」にあるのであり、それ以外の論拠はなし。
ということは確認できました。
…かといってなにも進展したわけではありませんが…。元禄十六年(1703。つまり成実の死から考えてもたった57年後)にもうここまでわからないものはどうすればどうにかなるんですか…? 新発見の何か…? ありうるんですかね、それ…?