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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

成実関係伊達家系図

成実を中心とした伊達家系図を作ってみました。稙宗ー晴宗ー輝宗ー政宗ー忠宗の本家と、実元=鏡清院ー成実ー宗実の大森&亘理伊達家の関わりをわかりやすく説明したかった…。で、どうやったら系図として綺麗になるだろうかとうんうん苦戦しつつ、亘理と二階堂&岩城を上手くつなげ、最後に宗実でつなげられたときは変な脳内麻薬がでました(笑)。一応いろいろ指摘を受けて修正しましたが、間違ってたらまた直しますので、お気づきの方はご指摘ください。一説に晴宗の代に見られる親隆の記述はよくわからないので外しました。
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成実の子の女児と男児(小僧丸)は時期的には(おそらく)女児が出奔前、(こっちは確実に)男児が帰参後の出生で、それぞれ亘理御前・岩城御前との子どもの可能性が高いと個人的に勝手に思っていますが、側室の子かもしれないし、ソースないのでそれぞれの子という表記にはしませんでした。
あとこないだネットサーフィンしてて、岩城御前の産んだ子が「数十日で死んだ女児」であるという記述を見かけたのですが、出典が不明で、現在探しています。

【20180403追記】岩城御前が生んだ子に関しては、「江刺史談」の伊達岩城氏系図に書かれている話として、「長治郎の母は、政宗の命によって伊達安房守成実に再嫁し、女子一人を生んだが、その子は六十日で死亡してしまった」とありました。大雄寺に葬られている女児がこの子なのかどうかはわかりませんが、気になる記述です。

【20191025追記】2018年に亘理で展示された、北海道伊達市に残る亘理伊達家系図に、「出奔したのは文禄四年」「岩城御前と結婚したのは慶長9年/成実37歳のとき」「二人の年の差は2歳」「小僧丸は妾腹」とあるのを確認しました。
岩城氏系図の記述と合わせて、

  • 慶長19年以前に死んだ女児(石筍曉露童女)は「岩城御前の子」
  • 慶長19年に死んだ小僧丸(泰雄康公禅童子/慶長19年10月10日死去)は「側妾の子」

という可能性が高いのではないかと推測します。

あと岩城御前は常隆の正室という説が伊達では一応いわれていますが、岩城常隆死後佐竹から入嗣し跡を継いだ貞隆と佐竹の方の記録からは「妾」という認識なのだそうです(今回佐竹のファンの方に言われてはじめて知りました)。本来は正室だったのが、佐竹に対しての体面から妾表記に変わったのか、はじめから正室ではなかったのか、判断は出来ません。
女児の名前は明確にわかっている人以外は院号or○○室明記で、政宗の子ども達の名前は、最近の研究で明らかになったものや一般書などで伝わるものを記載しました(岑とか)。わかりやすさ重視です。

亘理御前の実家である亘理家、そして岩城御前の血縁である岩城・二階堂家とのつながりも、いろいろと深読みできる関係ですねえとしみじみ思いながら作成*1いたしました…。うまくつなげられてよかった…。

【20120227追記】線が途切れていたところがあったので修正しました。あと千子姫が『伊達略系』で確認出来たので追加しました。

*1:ちなみに6回ぐらいいったん引いた線を全消ししてやり直してます…