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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

2018-12-16から1日間の記事一覧

『伊達日記』39:氏家弾正の死

『伊達日記』39:氏家弾正の死 原文 一氏家弾正親三河、子共にも違大崎義隆へ奉公仕、名生の城に居候。城をいだき義隆へ奉公仕候。政宗、弾正にも御疑心の間度々起證文を上異義無き由申上候。聞召届けられ候故、御横目に小成田惣右衛門を申請候処に弾正病死…

『伊達日記』38:長江月鑑斎の死

『伊達日記』38:長江月鑑斎の死 原文 一深谷月鑑は相馬長門小舅に候。下新田に於いても月鑑手前の者共玉無鉄炮を打候由政宗公聞召され、深谷は大崎境に候。相馬へも縁辺逆意の儀尤の由思召され、秋保摂津守に預置かれ切腹仰付けられ候。 語句・地名など 現…

『伊達日記』37:最上義光について

『伊達日記』37:最上義光について 原文 一義顕公。政宗公伯父にて候へども、輝宗公御代にも度々御弓矢に候。然共近年は別而御念比に候。義顕公大事の人にて洞にて大臣兄弟両人共に切腹仰付られ候。政宗公二本松塩の松御弓矢強。佐竹、会津、岩城、石川、白…

『伊達日記』36:最上からの使者

『伊達日記』36:最上からの使者 原文 一、最上より義顕、野辺沢能登守と申衆を蟻が袋へ遣はされ候而、能登守月鑑に会候て何と申合候哉。月鑑は深沢へ帰。安芸守は小野田へ同心申。小野田の城主玄蕃、九郎左衛門両人へわたし申され候。其夜能登守、泉田宿へ…

『伊達日記』35:月鑑と安芸

『伊達日記』35:月鑑と安芸 原文 一百々鈴木伊豆守、古川の北江左馬丞中途へ罷出新沼へ使を越、大谷加沢呼出候而申候は、泉田安芸守と深谷月鑑両人人質に相渡され候はば、諸軍勢は除為しめ申べき由申候。大谷賀沢引こもり其由申候処に、泉田安芸守家中溜村…

『伊達日記』34:新沼の籠城

『伊達日記』34:新沼の籠城 原文 新沼に籠候衆五千に及候間、新沼小池にて食物もなく籠城致され体に候。政宗公内々御人数をもつかはされ引出され度思召れ候へども、山道は御気遣成られ左様にも之無く候。新沼衆申され候は、室山を押通向敵を切払、松山へ引…

『伊達日記』33:伊達政景の交渉

『『伊達日記』』33:伊達政景の交渉 原文 一伊達上野介先々人数を引付度存ぜられ候へども、日はくれ候。川を越北へそなへ候間、桑折室山より出候はば、除兼ねるべき由存られ、月舟は上野舅に候間、上野所より使者を以申され候うは、爰許引のき度存候間、異…