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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

2018秋亘理角田

お久しぶりのエントリになります。
11/23~24と秋の伊達旅に行って参りました!!!!
政宗、成実と二年間続いた生誕450年関連イベントラストを飾る『亘理伊達家の宝物展』、角田で行われていた『牟宇姫時代展』(どちらも11/25で終了)と、東北歴史博物館での『政宗とその周辺展』が目当て。
とりあえず仕事終わってから22日のうちに仙台まで移動し、宿につき明日に備えてすぐ寝ました。

11月23日

いつも秋に出る市史せんだいの最新号に政宗の手紙がまたたくさん発見され、載っているよということをお聞きしたので、市史せんだい最新号・明治地図・戊辰150年図録だけを買いにまず仙台市博物館へ。

でも申し訳ないけど、見てる暇はないんだ…と、ミュージアムショップに駆け込み、上記のものだけ買って次は国府多賀城駅前の東北歴史博物館へ。

こちらでは綱村展をやっていたのですが、これも残念ながらじっくり見る時間はなかったため、綱村ごめえええんんと思いながら、図録だけ買って、展示室二でやっていた、政宗とその周辺展へ。
政宗がお寺関係(虎哉宗乙や康甫和尚やその後継)に送った手紙が16点、近衛信尋と交わした和歌の記録が1点、忠宗の手紙が2点ありました。


伊達オタであると同時に東北古代史クラスタ(アテルイが好きなんですよ…)でもある私には、買わざるを得ないものがミュージアムショップで売っていました。買いましたww

そして亘理へ。
なんでこんなに急いでたかといいますと、1:00から成実ウォークin亘理というイベントがございまして、事前に申し込んであったんですね。それに間に合うようにと超高速で回っていたわけでございます。

無事時間前に着いたので、展示物をいろいろとみます。
成実のものは、香車の陣羽織、香車の鎧、毛虫前立ての鎧、朝鮮から持ち帰った鞍、香台、肌守護、高台院おねさんから拝領したという水入れ、太刀宇佐美長光などが展示。他の時代のものはひな人形、家紋入りの道具などたくさん北海道から来ていました。
驚いたのが、亘理伊達家に伝わる系図。楷書で普通に書いてあるので読んでみたら、
「出奔したのは文禄四年」「岩城御前と結婚したのは慶長9年/成実37歳のとき」「二人の年の差は2歳」「小僧丸は妾腹」という記述が!!!! えっ!!!!て感じでした。
岩城の記録で「岩城御前が女児を産み、すぐに死亡した」というのがあるので、成実の二人居る子どものうち、女児も岩城御前の子ではないかとは思っていたのですが(ときどきネットなどではこの女児は亘理氏の子ではないかとかいてあるところがあります)、小僧丸が妾腹であることがはっきり書かれているのを見たのははじめてなのでびっくりしました。
出奔も、一般的に「文禄四年」か「慶長三年」に意見がわかれていて、はっきりとはわからないというのが、公式だと思っていましたが、家に伝わる書物にここまではっきりかいてあるとは思いませんでした。
学芸員さんにきいたところ、成実の業績についてはもっと長めに書いてあるとのことで、どうか翻刻して出版するか、もう一度どっかで展示をして欲しい…と思いました。
前期は実元の部分を展示されてたそうですが、個人的には実元〜宗実・宗成あたりまでのをじっくり読みたいです!

あと書状で展示されていたのは、人取橋の感状写し・天正年間のいくさの話の書状・亘理拝領の書状・宗実家臣への手紙・喝食丸の猟についての手紙・宗実が亘理へ初めて来たときの手紙…などが展示されていました。他の時代では太政官からの有珠を拝領する書状などがありました。
書状では喝食丸あてのものがかわいかったです。
喝食丸が送った鹿の股について、猟のときのことを詳しく教えておくれといった感じの文章でした。

そして成実ウォークの始まりです!

伊達武将隊の成実さん、重綱さんが来ておられて、ご挨拶をなさってました。しげしげ烏帽子親子コンビ!
お誕生日おめでとうござります!と全員で言ったのがおもしろかったです(笑)。


というわけで学芸員さんのご案内で、まずは赤城神社へ。現在はお堂しか残っていないのですが、かつては城の北東にあたるこの位置に神社があったとか。城の鬼門・裏鬼門に神社を配するのが通常だったそうで、亘理ではこの赤城神社がその役目を担ったのではないかというお話。

街道・町の古道などを教えてもらいながらてくてくとかつて亘理要害であった亘理神社方面へ。

亘理神社へ上ると、なんかやってる二人組がいましたww 素振りやってるww


亘理神社へ参拝。成実が武早智雄命として祀られています。

成実と邦成の功績が書かれた石碑。この石碑は宮城県沖地震(1978年?)で真っ二つに割れてしまったそうで、それを金具でつなげているのだそうです。東日本大震災のときはまさしくこの日と同じように歴史ウォークをなさっていたらしいのですが、まったく被害が無かったそうです。

城の後ろ部分には戊辰戦争の碑があります。あまり知られていないことですが、戊辰戦争での仙台藩の降伏式は亘理要害で行われました。

亘理要害は城の機能はあったものの、城ではなく、一般的には「御館」と呼ばれていたそうです。戊辰戦争すぐに破却されてしまったため、どのような作りだったかは全くわからないそうで、唯一当時の姿が残っているのが、この内堀なのだそうです(もちろん崩れないように補強はしてあります)。

そしててくてくと歩いて大雄寺へ!

普段は1月と8月の16日にしか開かない御霊屋なのですが、武将隊重綱さんのかけ声に応じて、開けてもらえることに!! 今年綺麗に修理された木像が見られました!! 学芸員さんによると「ムカデに見られることもあるが、実際近くで見ると気持ち悪いくらいに毛虫の形をしていて、そこに毛が生えている。この毛が抜けてしまっているところを参考に独眼竜政宗などで鎧を作られてしまい、ムカデの誤解が広まってしまった」とのことです。
この前立て部分は比較的新しく、かつてはこういうのではなかったとのことで、今度直すときは熊毛の毛虫にするつもりがあるというようなことを仰っていました。

御霊屋裏の、切り株二つ。
おそらく岩城御前とその子の墓であろうと思われるところだそうです。この子は今までずっと小僧丸のだと思っていたけど、女児のものである可能性が高くなった…のかな?

そして裏の土塁から海と亘理の町を眺める武将隊成実さん。
もう何も起こりませんように。復興がさらに進みますようにと祈りながら、おがませていただきました。





亘理の町を成実が今も守ってくれていると思いたいですねえ。


朝鮮から成実が持って帰ってきたものというと、少年(その後家臣となる杉山摩海)、鞍と、竹(孟宗竹?)があるのだそうですが、その竹は家臣の庭に植えられたそう(亘理世臣家譜略記で確かめてみたところ、清野壱岐の家の庭でした)で、それはどこかと郷土史家の方が探したところ、これではないかと思われるのだそうです。

こんな感じで町の中には古い街道や古道の名前が石碑に刻まれています。

今回実を言うと、何が目的かというと、亘理の海から満月の昇るのと朝日が昇るのを見てみたいということがありました。私は実は海のない県の生まれでございまして、海から月日が昇るのを見たことがないのです。なので、成実ウォークと満月に合わせ、来たのでした。
ところが資料館に戻っていろいろと質問させていただいていたら時間ぎりっぎりに!
しかも薄曇りになりかけていたので、これは見られないかな〜と思っていたら!



見事な満月が!!!! 本当はもっとすごいんです!
私の腕&機材ではまったく反映されていないのですが、オレンジ色というかピンク色というかに染まった、大きくて美しい満月が見られました!!
ホント綺麗だったのです!
あまりに美しくて、なのに撮れないので、写真を撮るのは諦めて、昇りきるまでホテルのベランダで見ていました。
この日はわたり温泉鳥の海で宿泊。オーシャンビューツインなのにひとりかよwwwwってひとりで笑っていたのですが、御飯も温泉も良かったです。温泉はナトリウム泉。ちょっと色がついてぬるっとしていて、肌に良さそうでした。

11月24日





今度は朝日!6時半頃でした。また長時間外にでて寒いので、も一度フロに。

もう一度資料館で展示を見つつ、いつもご一緒してくださるTさんを待ち、合流。

このときに気づいたのですが、宇佐美長光の拵え、黒漆塗りですごく簡素(それが伊達家っぽいともいう)なのですが、笄と小柄に龍の飾りが付いていました。他がシンプルな分、眼を引きました。

わたりふれあい市場で、いちごを!

ずんだもちを!

武将隊重綱さん推薦のはらこ飯プリンを!いただきました。
はらこ飯プリンはシャケ部分がババロア、いくら部分がタピオカでできていました。結構美味しかった。でもババロア部分がめちゃめちゃアンキモに見えましたww

荒浜のあら浜さんで、はらこ飯を!!ついに!!食べました!!何年越しだろう…。
開店時間でもう30組ほどの時間待ちが…見ている間にもどんどん増えていく…。
御飯部分の味が濃くて美味しかったです。あと鱒の刺し身もウマウマ!でした!

Tさんは漁師丼を。これもとっても美味しそうっていうか贅沢すぎる海の幸の塊。

ここから車で亘理から角田まで峠越えをしました。
というのも、寛永13年の政宗が江戸で危篤になったときに、成実が江戸に向かったという記述があり、そのときどのルートを通ったのか…というのが、私の疑問だったのです。
角田の人たちに見つかっている(その後角田の石川民部も江戸に向かうが、途中で訃報を聞く)ので、多分亘理から角田を通って白石行きか、丸森などを経て福島行きなのではないか…?と思ったので、聞いてみました。
亘理要害のすぐ側から延びている道から割山峠を越えてもらいました。
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通ってもらったのはこのルート。
でも思ったより低い峠で、これならおじいちゃん&急いでいる状態でも通れるかな?という感じでした。
下のルートは浜街道を南下し、坂元から峠へ向かい、金津宿を通って角田へ行くルート。幕府の巡見使はこの道を逆に通って白石から相馬へ抜けたそうです。


そして角田の郷土史資料館で行われている牟宇姫展へ!
受付はしなきゃいけませんが、無料ですよ無料!!


いろは姫の衣装。

牟宇姫の衣装。

筆がおいてあるのがいいですね。

牟宇姫と親交のあった帥局の衣装。

そして政宗の衣装。

建物もとても趣があり。

角田の牟宇姫推しはとてもいいなあと。

そして書状は外の蔵に展示されていました。政宗からの手紙を初め、いろは姫・秀宗・宗信・宗高・石川宗敬などからの書状。
翻刻・現代語訳付きのレジュメも完備されていてとてもよかったです!
なのに無料!最高です!
政宗からの手紙では、成人して牟宇姫と飲めるようになったことを喜んでいる様子、牟宇姫母のお山の方が酔っ払ったのでおもしろかったねとか書いてあって、とてもおもしろい…!! 他にもたくさん書状が在るらしく、それ全部翻刻・現代語訳して本にしてくれませんかね…牟宇姫文書とかって…。
牟宇姫はきっと手紙をたくさんかいて、返事を大事にとっておく、賢い人だったのでしょうね。



角田要害は現在角田高校となっており、関係者以外は入れない様子。

入り口付近の看板だけ撮らせていただきました。


それから、石川家廟所のある長泉寺へ。
とにかく広かったです。石川家の墓も人によっていろいろなところに分かれていて、それを探すのもひと苦労…。興味本位で近づくのもどうかと思いましたので、途中で切り上げました。

成実正室亘理氏の墓も大正時代までは長泉寺にあったらしい写真があるらしいのですが、その後どうなったかわからないということでした。角田の資料館でもそうらしいということは聞いているが、詳しいことはわからないということで。行く前には、それらしいものを探せるかなと思ったのですが、無理です。広すぎて大きすぎた…。
ただ、古そうな墓はたくさんありました。丹念に探せば見つかるのかなあ…。


不思議な音がする馨石がありました。

看板。

そして角田から阿武隈急行に乗って福島へ。道中夕焼けと紅葉が綺麗でした〜。
しかしこの道はかなりきついので、やっぱり角田から白石相馬道を通って白石から奥羽街道行く方が安全だろうなあという感じ。

というわけでかけぬけて参りました生誕450年の2018年の行脚もこれで終わりです。
本当は武者まつりとか花火とかもありましたが、残念ながら遠方ゆえ参加出来ませんでしたが、北海道での摺上上演、南相馬での展示、亘理での展示を見ることができて、とても楽しい一年でした。
去年・今年は生誕450年イヤーであちこち大変でしたが、来年は大人しくできるかな…?という感じですが、そろそろ福島にもまた行きたいです。
大森と二本松と杉目(福島)あたり…。
各展覧会・催し物の主催者の皆様、誠にありがとうございました!!
来年もまた行くぜえええ!(どこかはまだわからない)