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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』32:小山田筑前の馬

『伊達日記』32:小山田筑前の馬

原文

一小山田筑前打死朝不思議成る奇瑞あり。宿より馬にのり十間計出候処に、乗たる馬、時の太鼓は早遅々と物を云ければ、めし仕候者興をさまし扨々と申候。筑前聞て、今日の軍は勝たるぞ、目出度と申候。討死以後其馬を敵方へ取見候。知りたるもの有て此馬は一年義隆祈祷為しめ、野々嶽の観音へ神馬に引せられ候馬の由申候。義隆きこしめし其馬を引よせ御覧候へば、まことに神馬に引かれ候馬の由御覧覚えられ候。何方より廻り筑前乗て此軍に討死仕事神力の威光あらたの由いづれも申され候。義隆より筑前さし物を最上の義顕へ遣はされ候。義顕彼筑前はか子て聞き及ぶ名誉の覚のものの由仰せられ、くろ地に白馬櫛の指物を出羽の羽黒山へ納められ候。冥加の者の由申し候。

語句・地名など

室山=師山

現代語訳

一、小山田筑前が討ち死にする朝、不思議なめでたい出来事があった。泊まっていたところから馬に乗って、10間ほどでたときに、乗っている馬の太鼓が早おそしおそしとものを言ったので、供をしていた者たちは興ざめしてしまい、さてさてなんであろうかと言った。
小山田筑前はこれを聞いて、今日の戦はは勝ちであろう、めでたいと言った。筑前が討ち死にしたあと、その馬は敵方へ捕られているのを見た。其の馬について知っている人がいて、この馬は義隆が一年間祈祷させ、野々嶽観音へ神馬として引かれていた馬であるということを言った。義隆はそれを聞き、その馬をひきよせて御覧になると、本当に神馬に引かれていた馬であると見てわかった。そこからどうなってかめぐり、筑前が乗って、この戦で討ち死にしたことは神の威光があたらしく起こったのだと、みな言い合った。
義隆から筑前の旗指物を最上義光へお遣わしになった。義光はこの筑前のことは以前から耳に聞く軍功素晴らしい者であることを仰り、黒地に白馬櫛の旗指物を、出羽の羽黒山へ納められた。神仏の恩恵を預かった人であると、人は言った。

感想

小山田筑前が乗っていた馬に起こった不思議な出来事とその後の各将の反応が書かれています。
大崎義隆も最上義光も小山田筑前の見事な死に感じ入り、供養をしたということです。