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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『名語集』40:能を観て感泣す

40:能を観て感泣す(能を見て、感動して泣いた)
(*不完全なので、コピペなどはやめといた方が吉です。下線は文章の意味がわからなかったところ。間違いなどご指摘いただけたら幸いです)

原文:
一、或時、御親類衆御一家御一族衆、その外、大身衆に御西郭にて御振廻下され、一日御能仰付けられ、御見物あそばされ、尤も御前にても長袴御召し候ゆえ、諸人みな、長袴にて伺候申し候。ほのぼのあけに、御座敷へ出御あそばされ候とひとしく、年寄衆一人、御座敷より舞台先へまいり、片手をつき、「御能はじめ候へ」と申され候。すなはち幕揚げさせ、太夫罷り出で、其の日二番目の御能実盛を仕り候。仕手語りのうちに、「実盛つねに申しせば、六十にあまり戦せば、若殿ばらとあらそひて先をかけんもおとなげなし、まつた老武者とて、人々にあなづられんと、くちをしかるべし、鬢髭を墨にそめ、若やぎ打死せんずるよし、つねづね申し候ひしが、まことに染めて候けるぞ」と、さもゆゆしき謡ひし時は、御聲をあげ、ひたもの御落涙あそばされ候。左の御わきに伊達安房守殿御座候が、是も御同前に、御座敷にたまらせられぬほど、落涙あそばされ候。諸人、御様子を拝み奉り、落涙仕らざるもの、あまり御座なく候。まことに実盛ましの御人様たち、御身のほどにおぼしめしあはせられ候事と、みなみな感じ奉り、落涙仕り候。さのみ御落涙あそばされず、何にても義理の深き御事には、御聲を立てさせられ、御落涙なされ候。或時の御能に、定家を仰付けられ候に、「是は、時雨の亭とて、よしあるところなり。都のうちとは申しながら、心すごく、時雨ものあはれなればとて、此の亭をたておき、年々歌をも詠じさせ給ひしとなり。古跡といひ、逆縁の法をもとき給ひて、かの御菩提をも、御とむらひあれ」と太夫うたひ申し候ときなどは、いかなる御心にてか、御落涙あそばさるとは知らねども、御座敷にたまらせられぬ御ありさまにて、御聲をあげ、御鼻紙にて、御顔を抑へさせられ候。物の味ひ存じたるも存ぜざるも感じ奉り候。これは、歌道につけて、おぼしめし合わせらるることあらんと、存じ奉り候。誠に、善にも悪にも御強き御事なりと、皆々取沙汰仕候。

現代語訳:
あるとき、親類衆・一家・一族そのほか家中の主な者を集めて、西館にて宴会がありました。一日能をお命じになり、ご覧になりました。とくに(政宗が)長袴をはいてらっしゃったので、みんな長袴をはいていきました。御座敷へ出てこられたのと同時に、年寄衆のひとりが、御座敷から舞台先へ来て、片手をつき、「御能をはじめます」とおっしゃった。すぐにはじまり、太夫が出てきて、その日二番目の題目である「実盛」を演じた。
シテ語りのなかに、「実盛が、六十すぎて戦えば、若とのたちと戦って、先を争うのも大人げない。老武者だと人にあなどられるだろうと、情けない。鬢や髭を墨でそめ、若々しく振る舞って討ち死にしようとしていた理由をいっていたが、ほんとに染めていたとは」とたいそう立派に謡ったときは、(政宗は)お声をあげ、ひたすらお泣きになった。左のわきに伊達安房守(成実)がいらっしゃったのだが、これも同じように、御座敷にいられなくなるほど泣いておられた。この様子を見て、みなもらい泣きした。実盛のようであればよかった方々なので、自分のことのように思われたのであろうと、みな感動し、泣いた。政宗はそうむやみに泣かれることはなく、なんであってもものごとの正しい道理が見えるときは、声をあげて泣かれました。
ある時能をしたときに、能「定家」をお命じになったとき「これは時雨亭といって、由緒のあるところである。都の中にあるのだけど、ものさびしく人気がなくて、時雨も趣があるから、この亭を立てて、毎年歌を詠じさせなさったところである。遺跡として、縁がないけれども、菩提を弔わせよう」と太夫が謡ったときは、どういう気持ちでお泣きになったかはわからないが、御座敷に座っていられない様子で、声をあげて、鼻紙で顔を抑えておられた。ものの趣があると思ったときも、ないときも感動なされる。これは歌のときに、お考えになることがあるのだろうと思います。本当にいいことにも悪いことにも気性の強い方であったなあと、みんなで言いあいました。

メモ:
・御西郭:『政宗記』によると、若林の西館。

感想:
さっそくこのエピソードからやる自分が素直で泣けてきます…。政宗は時と場合によって、感動したらめっちゃ泣く人でありました…という話。
斎藤実盛の詳細についてはこちら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%AE%9F%E7%9B%9B
能の「実盛」については、こことか参考になった。
http://awaya-noh.com/modules/pico2/aun/aun_11/sanemori/sanemori.html
戦上手なんだけども、戦にも生きることにも疲れた…っていうのが切ない。そういう実盛に政宗も成実も思うところあったのでしょうか。『政宗記』にもこの時のことは書いてあります(巻11)が、成実は自分がダダ泣きしたことは書いてないのです! しぎのさんから言われて読んでみたらホントに「みんな泣いた」としか書いてなくて笑った(笑)。御座敷に座ってられないぐらいのダダ泣きってどんなの…? 
木村本にも記述あります。袖びしゃびしゃって…? とりあえず、二人して、尋常じゃなく泣いたらしいです。木村&小川ありがとう!(笑)
政宗は感情豊かな人だったようですね。よく怒るし。喜怒哀楽のはっきりした人だったようです。あと、歌スキーなところも見えていいエピソードです。

補足:
『木村宇右衛門覚書』での該当部分。春だったらしい。

大守公御涙をはらはらと流させ給へば、御左の上座に伊達安房成実声を忍びにたて袖濡るるほどなかれける(私注:「流」と注釈あるが、「泣かれける」でも意味通るような気もしないでもない)。何も御年六十に余らせ給ふ比也。
ー小井川百合子編『木村宇右衛門覚書』202p

政宗公が涙をはらはらとお流しになったところ、左の上座に居られた伊達安房成実がこっそり声を立てながら、袖がぬれるほど泣いておられた。