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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

『伊達の松陰』

『伊達の松陰』は政宗の手による草紙。慶長19年三月忠輝の為の越後高田城建設の際に、越後滞在中に書いて、夫人田村氏(陽徳院。愛姫)に送った物という。数編の文章と30首の詩、和歌300首から成る。「政宗全集」とも呼ばれる。

原文:
貞山様越後にて。御作なされ候草紙
今更に住はてぬ此世ならましかと。おほやけ事うき世の事わさのみに。いとまなく月日をおくるこそ物くるほおしけれ。さはあれど。聊のひまあつて。筆を染心にうかぶこと草を。かきつけてみれば。あやなく我ながら心のほどは。山の井の浅ましうほいなく成り行く。されどおもふ事いはねば。腹ふくるるとやらん。しばし心をのみなぐさまむために筆をかさね。紫式部が筆の跡。清少納言がまくら物語。兼好がつれづれの草紙に。事ふりぬれど。おなし事いまさらいはばとにもあらず。さて春ははなの盛。えならぬ梅の匂ひ。雪にまがふ遠山さくら。ひとへの櫻のちりやすきたる庭のおも。うぐひすの声。かはづのなくさへ。おりにあひばとむかしのうたにも見えたれ。やよいのそらも暮すき。卯月にもなり行ば。こえめづらしきほととぎす。いづれもいづれもこころをうごかし。人をなやます物にや。五月雨のこころとかや。池のはちすの露をふくみ。濁にしまぬきよげなるさま。ながむるままにくれゆくほど。くひなのたたくも。誰が門をやなど。とふにこたへぬつらさ。人のここちのみして人やりならで。あはれを催し。ふすかとすれば明はてて。山のはにのこる有明の。うちしげりたる木ずえには。春秋しらぬ空蝉のなくねは。人のよはひににて。物はかなし。これも涙のたねならむ。春をばよそにかきつばた。色はむかしのゆかりにて。きのふもけふのむかしならずやと。すぎにしかたをおもひ出ては。ひたすらになつかしき事のみあらむ。かくてやうやう吹風も袂すずしく成ぬれば。おぼろげなりし月かげの。一夜一夜にすみゆけど。はれぬは人のまふしうの。雲露わたるかた野辺に。露おもげなるいと萩の。しづこころなき秋風にさそはれぬれば。おのづからつらぬきとめぬ玉ちりて。こころをのみいたましむ。折からに枕さだめぬ女郎花。おとこ山の昔もおほはれ。をさをさかれ行むら薄。なきからしたる虫のこえに。つまこふ鹿のなきそひて。一かたならぬ夕暮は。ききなれし鐘のこえさへ。みみにおなじくこたえつつ。心をなぐさむ物のねも。いとどさびしくおほゆれば。引さしてこそありぬべけれ。冬の月いとすましたれとむかしのうたに
秋はなを木の葉がくれもある物を いまをながめん秋の夜の月
ともあり。
生者必滅会者定離の。ならひもとよりめうらしからぬ事にや。春の花は同暮春の風にさそはれ。秋の月は涅槃の雲にかくれ。むまるるものは必滅し。あふ者はつねにわかれにさだまる物から。三千とせの桃そのの宮も名のみのこり。千年の松もついには枝くちぬ。されば末世の凡夫は。身のをはるべき事をわきへず。いくればいくと油断し。あふ時はいつも逢事とのみ。するのたのしひふかし。しかるによりて煩悩のきづなにまとはり。菩提の道をうしなふ事常也。凡人間は無欲にして他財をむさぼらず。露命をふかくつつしまで。あだなる夢の世と。胸中にかけてすきなば。なおか心の闇にまとひなん。もろこしの聖の文ともをみるに。此事のみを色をかへ。さまざまにいひおきし。魯論弐万三千字はじめより。一句の中に有と。いにしへの詩にも見えたり。皆ここにきまれるなるべし。かくはいへど。よこしまにさとりてはほいをうしなひ。心みじかきのみにうかんで命をあだに思ひ。なががからぬ世と思ひむさぼりなば。仁義の道もすたりなん。つつしむべき事にや。

つれづれの草紙に。
よろづにいみじくとも。いろこのみならざらんおとこは。さうざうしく玉のさかづきの。そこなき心ちぞすべき。露霜にしほれて所さだめずまどひありき。親のいさめ世のそしりをつつむに心のいまとまなく。あふさきるさにおもひみだれ。さるはひとりねがちに。まどろむ夜なきこそおかしけれ。さりとてひたすらたはれたるかかたにはあらで。女にたやすからずおもはれんこそ。あらまほしかるべきわざなれ。
後の世の事心にわすれず。仏の道うとからぬ心にくし。
世の人のこころまどはす事。色欲にはしかず。人のこころはおろかなる物かな。にほひなどばかりのものなるに。しばらく衣装に薫物すとしりながら、えならぬ匂ひには。必ず心ときめきする物なり。久女仙人がものあらふ女のはぎのしろきを見て。通をうしながひけん。誠に手足のはだへなどのきよらにこへ。あぶらつきあらむは。外の色ならねばさもあらんかし。
御室にいみじき児のありけるを。いかでさそひだしてあそばんとたくむ法師どもありて。のふある法師ともなどかたらひて。風流のわりこやうのもの。懇にいとなみ出て箱ふぜいの物にしたためて。ならびのおかのびんよき所にうつしおきて。もみぢ散らしかけなど。思ひよらぬさまして御所にまいり。児をそそのかしいでて。うれしとおもいひて。ここかしこあそびめぐりて。ありつるこけのむしろになみいて。いとふこそこうしにたれ。あはれ紅葉をたかん人もかな。験あらん僧たちいのり心みだれよといひしろひて。うづみつる木のもとにむきてしゆすおしすり。。いんこといんことごとしくむすび。いとなくふるまひて。このはをかきのけたれど。つやつやものと見えず。所のたがひたるにやとて。ほらぬ所もなく山をあされどもなかりけり。うづみたるを人のみをきて。御所へまいりたるまにぬすめるなりけり。法師どもことのはなくて。ききにくくいさかひはらたちてかへりにけり。あまりに興ならんとする事は。必あひなき物なり。

源氏乃ことば。
(略)


海士捨草
世の中ことわざ繁れば。筆のすさびこと葉の戯れだにも。云慰まん隙さへなきに。わりなき人のせめられて。濱千鳥あとみえがたく。難波のあしのを書きながし。山の井のふかからぬ言葉の顕れがちなるべし。時にあたり冬枯の散残なむもみぢ葉も。名残なく寒き嵐にさそはれぬれば。いとど詠は見所なきに。爰に咲ふべき程の景色たつ梅は。さとならぬ匂ひのかほり。盛たたんとてのおひさき知れて。いとなつかしきこととどもにて。芳野初瀬の花とて。此一枝にはよもまさりなむ。かかる色香をみるからにも。憂身のつらき事のみ。数ならぬことも思ひ乱してやみなむと詠し事も。我身の上ならんと思へども。身にまかせねば心なく。独寝の床しく起いる露の繁れば。雄島の海士の袂も斯くはと思ひやられ。別のなきを思ひてとやらむ。又憂別は有ともなど。世の言葉に云伝しも理にて。さながら逢見る中ごとと。世をかこち人をかこち身をかこちても。甲斐ぞなき。我住このあばらやにも。月影ばかり八重むぐらにも碍すさし入ぬ。詠明せば晴る空さへ曇がちに。夏の夜なりと。かかる思ひにあかしなば。秋の夜の千夜を一夜に思ひなむも。夏寝の床ぞ夢さへ疎く。何につけても慰まむ。身を知る雨はと云ひけむ事さへ思い出られて。闇にくれてさすがに。起もせず寝もせで夜半をと詠し事も。今身の上にしられ。雲の憂ごとまでの積来て。何のあやめも思ひて。まよまよとしたる心許りにて。つらき命松のおもはんこと。唯はづかしきと。いにし人の云ひしもげに理りや。ひなの住なりと。人の情けのみあらましかば。などや都もこひしからん。都の空月をみるにも思ひやり。ひたすらに濡るるかほにて過しなむ。然は有ど。稀に逢世の嬉しさは。暫時は夢かとのみたどられて。千夜三夜と思ふは甲斐なくて。長夜も啼き一聲に明かるしののめとやらむ。夏の夜もかくはなど短からんと。人の袖をもぬらしれば。いそしう鳥も励なき心あたはだしくて。うつつにて夢ばかりなる逢ことを。うつつ計のゆめになさばやと云しも此暁なるべし。

言葉がき
水に近き楼台は。先月を得るや。陽に向へる若木は。又春に逢事やすきなる。其理もさまざまの。春過夏たけ秋くる風の音信は。庭の荻原まつ戦くに。そよかかる秋としらずや。身は古寺ののきの草。しのぶとすれど。いにしへの花は。あらしの音にのみ。芭蕉葉のもろくも落る露の身は。置処なき虫の音の。よみぎがもとの心の秋てとなどかかはらん。

(漢詩・和歌は省略。)

仙台叢書1に所収の『伊達の松陰』です。政宗のエッセイ…にあたるのですかね?
詩っぽくて私には上手く訳せないのと、本人の雰囲気を是非知っていただきたいので、原文のみあげておきます。
な、なんてロマンチックな…(笑)と思いました。成実の文章と比べてみても楽しいかと思い、当ブログの守備範囲とはちょっとずれますが、上げてみました。書いてる内容が違うせいもありますが、使ってる語彙が歴然と違うなあ…と。同じ時代の人なのに、性格の違いが出ていて楽しいですね。おそらく読んでいる物が違ったんでしょう。政宗は徒然草を書き写してたり、定家本を大事にしてたらしいです(仙台市史より)。伊達家は連歌の宴をやってたりして結構風流な部類ですが、古今伝授を欲しがってた話もありますし、暇さえあれば和歌研究してたといいますから、政宗自身はホントに和歌が好きだったのでしょうね。
『政宗記』の中の、漢詩と歌をひたすら写してある部分もわりとおもしろいです。