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伊達家家臣伊達成実に関する私的アーカイブ

【感想】能『摺上』

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思い起こせば、戦国時代・江戸時代の能の歴史を研究してらっしゃる柏木ゆげひさんから「そういえば、成実がシテ(主人公)の能があるんですよ」とお教えいただいたのが、2012、2013年頃のこと。
「ええ〜それはすごいですね」といいながらも、ずっと上演されてないと聞くし、許可が必要な秘曲だというしで、まあ見る機会はないだろうな、って思っておりました。
でも、その頃から、「政宗が2017年で生誕450年なんだから、2018年って成実の生誕450年だよね」とか「没後400年の2046年は生きてないか、生きててもいけなさそうだな」とか言っておりまして、「生誕450年でなんかないかな…なんかでっかいイベント」という期待だけはありました。
そして、発表されたのが、能『摺上』の上演。正直びっくりしました。
どんなのになるんだろう?ということで、せっかくの450年だしで、このビッグウェーブに乗るしかない!と見に行くことにしました。

まず前日にありました、能ワークショップの最後にありました奉納仕舞『摺上』を拝見しました。
仕舞というのは、能の装束を着けずにするデッサンのようなもの…という説明でしたが、能『摺上』の後半部分をほぼ省略無しで最後まで。
大雄寺本堂前に作られました特別舞台にて行われました。
小さい舞台だけれども縦横無尽に舞われる姿を見て、いやがおうにも明日の本番への期待はふくらみます。
そのときの様子は伊達観光協会さんのサイトに上がっていました。
www.date-kanko.jp
まあその日はとりあえず休み。

翌日、いろいろ回ったあとで、2時開場・2時半開演ということで、2時頃だて歴史の杜カルチャーセンターのホール着。
あっそのまえに道の駅でさくらんぼととうもろこし買って送りました。

すでにホールの入り口前で、さんさしぐれの舞が行われており、観劇者には豪華なパンフレットとアイラブ成実うちわが配られていました。
それとイヤホンガイドが無料!(普通貸出料金とかいろいろつきます)しかも生解説ということで、本当に贅沢でした。

まず竹野瑠璃さんという、カラオケバトルで有名だという歌手の方による、さんさ時雨の独唱。ホントにいい声でした。

その後仕舞『遊行柳』『融』が行われ、狂言『樋の酒』が行われました。
狂言は能が演劇なら、正直言ってコントというか、非常にわかりやすいし、聞き取りやすいので、とてもおもしろかったです。
酒飲み二人に翻弄される主人、どうにかして酒を飲もうと樋で酒を飲む二人、みたいな話なのですが、仕草ひとつとってもおもしろい。

そして囃子の声が聞こえてきて、ついに能『摺上』スタート。
連歌師の家である猪苗代家の子孫(法眼)が毎年正月の御嘉例のため、仙台へ出張の帰り、自分の先祖が勧請した神社へ詣でようとしたところ、摺上原を通りがかり、天正18年の御嘉例年賀会で政宗が「七草を一葉によせて摘む根芹」と詠んだことを思い出して、口ずさんだところ、ひとりの翁が現れます。
発句の由来・案内をして、音楽してくれない?と言いつつ、老翁は消えます。
ここで前半終了。
あらすじを説明してくれる間狂言というものもありまして、ちょっと何言ってたんだかわからないという人にも親切なつくり。
そして間狂言は、その老人は伊達安房守成実ではないかと言って終わります。
そして法眼が音楽を鳴らしていると、紺と金色の甲冑(にみたてた強装束)に身を包んだ若武者が現れます。
何をしに来たのか、だれですかと問われ、自分は「藤原の成実」であり「むかしのことを語るためにここに現れた」と言う若武者。
天正17年の六月に行われた摺上原のいくさを語り始めます。
平の義広(芦名義広)が挙兵すると聞き、政宗が出陣。猪苗代盛国の内応が語られます。先遣した成実・景綱に政宗の出馬は必要ないと言われたのに、政宗が忍んで自ら出陣したときのエピソードが披露されます。
その後行われた摺上原のいくさの様子を縦横無尽に舞いながら、説明する若武者。最終的に仙台の繁栄までもが語られます。

そして最後に附祝言として、伊達邦成が詠んだ、「蝦夷の春は故郷の春にも負けない」という意味の歌を元にした謡が附けられていました。
この附祝言は伊達でこの摺上をするに当たって特別につけられたものだそうです。仙台の繁栄から伊達の繁栄を言祝ぐ能になっておりました。

いろいろな意味ですごくて、かつおもしろくて、私は酸欠になるか知恵熱でるんじゃないかと思うぐらい、興奮しておりました。
前シテとして出てくる翁は白〜灰色の服を着て、まあわりと大人しい衣装で出てくるんですが、その老人が若い頃の姿を取って現れたときが、本当にかっこいいんです!(≧∀≦) 甲冑を表す紺と金色の衣装が、きらきらと光り、舞台を縦横無尽にかけまわりながら、語る姿、刀をとっていくさを語る様子がもうほんっとうにかっこよくて!(語彙がない)

で、普通能ってわりと無念を残した武者とか、恋慕を残した女性とかがうらめしげに出てきて語り、それをとおりがかった僧が祈ってあげて成仏するみたいな感じの、静かなしみじみとした話が多い(と思う)のですが、今回の摺上の老人はノリノリで、「詳しいこと語ってやるからちょっと音楽やって待ってて!」みたいな感じで消えたと思ったらフル装備で出てきてノリノリで語る若武者…という感じで、無念や残念さがまるでなく、爽快感に満ちた内容で、あれ…これ…能?みたいに疑問に思ってしまうくらい、さわやかでおもしろかったです(修羅ものの中でも、こういうタイプのを特に勝修羅ものというそうです)。
多分普段あまり能とかに触れていない人でも楽しめる感じになっていたのではないかと思います。
私もそんなに見てるわけじゃないですが、すっごく楽しめました。

私がぐっと来ましたのは、
「音楽の聲すみわたる月影にさも花やかなるもののふの、甲冑を帯びし見え給ふはいかなる人にてましますぞ」と聞かれた後、「今はなにをかつつむべき、これは黄門君の御代に在りし藤原の成実」と正体を現すところ。
言葉が美しくて美しくて、実際に成実が見えるかのような感じを体験しました。

そしてもうひとつぐっときたのが、
「昔を語らんそのために、これまで現れきたりけり」と、目的を言うところ。
このサイトで何回も何回も繰り返して言っておりますが、私が成実を好きなのは、武将であると同時に「何かを語る人」「何かを書く人」であるところがすごく強くて、昔をどうしても語ろうとするこの霊であるところの翁・若武者が、自分がイメージする成実という人の両面を表している!と強く思えたからです。
細かいところでコミカルなところ(法眼との「何でその歌よんでるの?」「あんただれですか」「よそものじゃないです、その歌のいわれ知ってる?」「七種って言うのは○○(植物の名前)で〜」「それはわかってるけど!そのもっと詳しいことがあるんだよ!」みたいなやりとり)もあり、無念さ・残念さとはほど遠く、明るく楽しくかっこよく昔を語る成実の人物造型がすごく素敵だなと思ったわけです。
「語る人」というのは政宗が死んだあと、奥羽のいくさについて語ってといわれ、幕臣が聞いた(またそれを家光が聞いていて感動した)という話に基づいていますが、こんな感じでノリノリだったのかなあと思ったりしました(笑)。

それにしても他にも大将はいるはずなのに、義広(芦名義広)がでばりすぎてて格好いいww 強えwwって笑いました。

もともとの詞章からは少し変更・省略がされているそうですが、冗長なところがなく、とてもおもしろく見られました。
(もともとの詞章に関しては仙台県史にも載っているそうで、詳しくはこちら参照。いつもお世話になっております、成実三昧さまのページ)
さすがプロの技。ほんとにほんとに素晴らしかったです(語彙がない)。

まず関西住まいの身にとっては、北海道いくのって仙台や亘理に行くのに比べても精神的にも物理的にもやっぱり遠いので、なかなか行けないのですが、この能観劇に関しましては、ホント行って良かったですし、開催に関係なさった能楽師の皆様、実行委員会の皆様に、心から感謝したいと思います。
あ!あと江戸時代にこれを作った平賀さんにも感謝ですね! 成実の格好良いポイントをうまく表現して下さっていて、本当に友達になりたいくらいですww なって友達!!ww
本当にありがとうございました。
しっかし本当に成実かっこいいなあ〜(改めて実感)