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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『名語集』4:無体とぬるきことを嫌ふ

『名語集』4:無体とぬるきことを嫌ふ(むやみに判断が遅いことを嫌う)

原文:

或時の御咄には、「人は、只第一、無体とぬるき事嫌ふべし。上下共に、心に慇懃を絶やす事なく、ぬるき事なき様に仕り、拍子抜けぬ様に、何事によらず実にとすれば、見たる所もよし。何と引出しよくとも、がさつにて浅き立振廻、結句、不拍子なるは、なかなか詞に述べ難し。いはんや若き者などは、火に入れ水に入れといはば、其のまま受けて走り懸るを、先にて止めさする程の勘は気味よきぞ。若き者などが分別だてをし、物事侫人をつかひ、軽き事を嫌ふは、沙汰のかぎりなり。分別も工夫も、用ふる所定まりてあるぞ。たとへば、行先に仕合事などあるに、軽き者は、其のまま走り懸るに、分別だてせんや。死ぬ所へ分別して行くべきや。其の者は心知れたり。それならば、主の用にも立たず。若き者などには言外なり。或は、朝夕友つき合にも、一二度はよからん。三度とならば、友だちもいやがる者多かるべし。只、何事にもよらず、其の家の主人好くかたぎ、又何に限らず主の好くものにはなりがたくとも、心を付けよ。第一は其の身の為なり。我等七旬に及びけれども、何事も若き者どもに負けじと思ふが、又年嵩のいる事は、別にあるぞ。朝夕、真中ばかり歩きてならぬぞ。我れ若年の心うせず、人さへ許さば、今も出づべけれども、其の抑へは年なり。只、若き者などは、何ぞ人に変わりたる事せんと心持、尤もなり。若き時は、悪事すれども許す事多し。それ故、召使ふ小姓などは、前髪早くとらすれば、不断召使にもよきなれども、前髪いまだ有りと思へば、悴よりの心地離れずして、気遣なし。同じ頭にても、前髪なければ、おとなしやかに思ふにより、はや其の心違ふなり。第一、其の身の為によき事には、年行きても前髪有れば、いかなる悪事をも、前髪有りて若輩故と、許す所多し。尤も良き事すれば、また若輩者なるが奇特と、人もほめとりなし、前髪なければ、それもなし。何に付けても善き事には入りかぬるものなり」と、御咄遊ばされ候事。

語句・地名など:

ぬるし:鈍感。鈍い。きびきびとしない。
慇懃:心を込めて念入りにする/親しく交わること/極めて礼儀正しいこと
なかなか:中途半端である/かえって、むしろ

現代語訳:

あるときのお話では、
「人は、ただ第一に、むやみにきびきびしていないことを嫌いなさい。身分のあるものないものもともに、何事も丁寧に念入りにする気持ちを絶やすことなく、のろのろとすることがないようにし、勢いがぬけないように、何事においても良い結果になるようにと心懸ければ、見かけもよい。
たとえはじめがよくても、がさつで思慮のない立ち居振る舞いをし、結局拍子外れになってしまうことは、中途半端でことばにしずらい。
ましてや若い者などは、火に入れ、水に入れといったならば、そのまま受け取って走ろうとするのを、前もって止めさせるくらいの考えをもっていることはよい。
若者などが分け隔てをして、ものごとを解決するのに人に媚びへつらい、重要でないことをするのを嫌がるのは、以ての外である。分別も工夫も、使うところは決まっているのである。
たとえば、行き先にもめ事などがあったとき、軽い者は心のまま走りかかり、わきまえることはしないだろう。死ぬところへは分別していくべきでろうか。その者はよく分かっている人である。それならば、主の用には役立たない。若者などにたいしてはいうまでもない。
あるいは、朝夕と付き合うにも、一度や二度はよいだろうが、三度ととなれば、友達も嫌がるものがおおいであろう。ただ、何事にもよらず、其家の主人が好む性質、また何に限らず主の好むものになるのは難しくとも、そうなれるよう心懸けるようにせよ。
一番にはその人自身のためである。私は70の年になってしまったが、何事も若者たちに負けないようにとは思うが、また年長の者が必要な場面は他にある。朝夕、道の真ん中ばかり歩いてはいけない。私は若い頃の心がなくならず、人さえゆるすならばいまもその頃の気性が出るけれども、そのとき抑えとなるのは、年齢である。
ただ、若者などがなにか人と変わったことをしたいと思い立つ気持ちになることは、当然である。若い頃は、悪いことをしたとしても、許すことが多い。そのため、召使う小姓などは、はやく元服すれば、常の召使いにふさわしいが、元服もせず前髪がついたままだと思うと、子どもの頃からの気持ちになってしまい、気遣いがない。同じ頭であっても、前髪がないなら、大人のように思うため、もうはやその気持ちは変わってくる。
第一、その人のためによいことは、年がいっても前髪があれば、どんな悪事をしても、元服もしておらず若輩ゆえと許すことが多い。そして良いことをすれば、また若い者であるのに、めずらしいと人も褒め、とりなすだろうが、元服していてはそれもない。何に付けても良いことにはなりかねるものだ」
とお話なされた。

メモ:

政宗の家臣の扱い方についての章です。
前回の利口な人とそうでない人と同じように、勢いがある若者とそうでない者とを比べ、どちらかが悪いというのではなく、それぞれに必要な場所があること、若い者に対して、若さゆえのいろいろが許されることもあることを述べ、若年者は勢いを、そうでない年配の者には思慮を求めるような考えを持っていたようです。