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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『伊達日記』57:三春の代理

『伊達日記』57:三春の代理

原文

一八月十九日田村月斎。梅雪。右衛門大夫。橋本刑部少。宮森へ参られ申上られ候は。今度義胤三春を御取有度由思召され候ば。本丸に御北様御座候故仰合され候。兎角御北様を御隠居も御申成さしめ。政宗公御若君御出候迄誰ぞ御番代を仰付られ然るべき由申上られ候。政宗公も内々左様に思召され候処に申上られ候間。即御合点成られ。田村孫七郎殿は清顕公御舎弟善九郎殿と申之御子に候間。是を番代と思召され候。如何あるべきの由御意に候。右四人の衆尤御番代を伊達より遣はされ候は存ざず。田村親類に孫七郎の外は之無く候間尤然るべき由申され候。左候はば御北様御隠居所は何方然るべく候哉と御たづね候へども。右四人申され候は。平屋敷持は如何候。ただ今田村右衛門大輔居申候船引の城を明させ。指置御申然るべき由申され候に付而則右衛門に仰付られ候へば。尤早々明申すべき由申され候而四人衆は罷帰られ候。誰も御使を以隠居。尤孫七郎御番代義も仰付られ然るべき由申合候付而白石若狭。片倉小十郎。守屋守伯三人を三春へ遣わされ候。右四人の老衆を以御北様へも尤孫七郎殿へも仰渡され候。右四人の老衆又参られ候而。迚も孫七郎殿へ御一字を下され候様にと申され候に付。宗の字を遣はされ宗顕と申候。

語句・地名など

現代語訳

一、8月19日田村月斎顕頼・田村梅雪顕基・田村右衛門大夫清康・橋本刑部少輔顕徳の4人が宮森へ来て「今回義胤が三春を取ろうとお思いになったので、本丸に北の方さまがいらっしゃったので、言い合わされた。とにかく北の方様を隠居させ、政宗公に若君がお生まれになるまでだれか代理をご命令くださるのがよい」と申し上げた。
すると同意なされ、田村孫七郎は清顕公の弟の善九郎という者の子であるので、これを代理とお思いになり、どうかと思われた。右の四人衆は代理を伊達から遣わすのではなく、田村の親類に孫七郎以外の者は居なかったので、適任であると言った。
ならば、北の方の隠居所はどこにすればいいだろうかとお尋ねなさったが、右の4人は「平屋敷はどうかと思うので、ただいま田村右衛門大輔がいる船引の城を開けさせ、差し置くのがよいのではないか」と言ったので、すぐに右衛門大輔にご命令になったので、もっともであるので早々城を空けるべき出有ることを言われて、4人は帰っていった。誰も使いを遣わして隠居させようと、孫七郎が代理となる話もご命令になるべき話するために白石若狭宗実・片倉小十郎景綱・守屋守伯意成の3人を三春へ遣わされた。この4人の家老衆を回して北の方へも、また孫七郎へも言い渡された。この4人の家老衆はまた来て、では孫七郎に字を一文字下さるようにと言ったので「宗」の字をおつかわしになり宗顕と名乗った。

感想

三春の四家老衆が政宗に訴えた内容が書かれています。
北の方の隠居所について、平屋敷ではよくないので、城を空けさせようという計画があり、未亡人である北の方にはそれなりの待遇をするべきであるという考えがあるのがわかります。興味深いです。