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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『白達記』白石宗直と伊達成実の争論

『白達記』は、白石家に伝わる家記をまとめたもの。野村紘一郎『白達記 登米伊達伝承禄/登米藩史料第2集』日野廣生/2004として刊行されています。
二段組になっていて、上に原文、下に現代語訳、後に補注がついており、とても読みやすい本です。

今回は、その中に書かれている、「白石藤三郎と伊達成実の争論」についての記事です。

原文(102p5l〜)

(前略)
此夜は野陣なり。六日の未明に片倉小十郎より大坂一戦の由宗直へ申来る。其時旗持早川丹助下知して中間大田小一郎に小旗持たせ成実の小旗指越進み出るを成実見、藤三郎に云へるは其元の九曜は出過あししと引込やうにと藤三郎いへるは、其恰好などのことは常の事、此乱れ軍に何の行義のよきが入べきやとて肯はず。其時成実のいへるは政宗公へ申上る外なしと也。藤三郎の挨拶には其元の心まかせといへり。丹助申越は宗実代より世上の旗の後に立きなし。夫は成実公覚あるべしと争論也。互いに刀に手をかけ内乱とみえる。藤三郎臣下に右馬之允と云ふ者、成実に向ひいへるは、内々の兎や角とはちがえり、今日は大切也、湛然あるべきと云て早道明寺まで押かけての働、日もくれる也。
(後略)
(原掲載文は漢字とカタカナ、句読点なしですが、句読点を補いました)

補注(107p)

白石藤三郎と伊達成実の争論:「白石家戦陣略記」には「白石殿」とだけあり、「藤三郎」の名は見えない。「白達雑記」の「米谷注記」は、藤三郎は初陣なので無勢であろう、父宗直ならば円居をもっているから、この場合は宗直であることは明らかであるとしている。

現代語訳は原本に載っているのでそのままの転載はしません。

大坂の陣の最中、白石家の旗持ちが前に出たことを、成実が「そこもとの九曜紋の旗は出過ぎていていけない、引っ込むように」といったところ、旗持ちが「恰好をつけるのは平常時のことで、このような乱戦の中ではどうして行儀よくしている必要があるのか」と返した。成実は「今回の戦陣はわが勢が命ぜられているのに、それを無視するには政宗公に申し上げるほかない」と言ったが、白石藤三郎は「そこもとの思うようにしたらよいだろう」という。白石家家臣丹助が「わが家の旗は宗実の代より他家の旗の後ろに立ったことはない。このことはあなたも御存知のはずです」と言ったため、論争が高じて互いの刀の柄に手をかけ、あわや内乱となりそうなときに、白石家家臣太郎丸右馬之允という者が成実に向かい「内々で争うのは違います。今日は天下の大事な合戦の日です。耐えるべきです」と言って、場を収め、道明寺まで押しかけた。

ということです。

注記により、この白石藤三郎は白石宗直であるとしています。
白石宗直はこのような人→白石宗直 - Wikipedia

『白達記』には他にも、

  • 宗直が政宗に厚く奉公しているのに恩賞はほとんどないこと。
  • その鬱屈から、宗直がさらに政宗に対し侮ることが多くなり、禁漁区に入って獲物を打ち散らすなどした宗直に政宗は苛立ちを感じていたものの、和賀の乱の責任を宗直に背負わせたことから、宗直の横暴を聞いても我慢していたこと
  • 寛永6年、宗直が数々の横暴に対する政宗の怒りをなだめてもらうようにお詫びをしたいと東昌寺の和尚に頼んだが、聞き入れられなかったこと
  • その後宗直が病を得て死んだとき、政宗は鷹狩りに出かけていたが、鶉を捕った。そこへ宗直の死去の報がきたため、「もし宗直が生きていたら、このようにしてやろうものを」と手にした鶉を引き裂いたこと

(但し「登米伊達十五代史前編」では原稿朱書注記に「この説妄説なり」とある)

  • 政宗の怒りがすさまじいので、もしかしたら棺を暴かれるかもしれないと、宗直の遺骸を東昌寺境内に隠し埋め、空の棺を登米へ下し、それを養雲寺沢へ葬った。宗直の本当の墓が東昌寺のどこにあるか不明であること
  • 政宗は怒りのため登米領主から伊達姓を取り上げ、一門から一家に降格し、白石姓に復させたこと

などが書かれていて、
政宗が宗直に対し、激しい怒りを抱いていたことが書かれています。
白石家は一時一家に降格しますが、その後忠宗の四男五郎吉が継ぎ一門に復しますが夭折したため、正保5年五男辰之助(宗倫)が跡を継ぎます。この宗倫がのちの伊達騒動で伊達式部として登場しますが、その話はここでは割愛します。

「政宗公に申し上げるほかない」と告げる成実は、成実や成実に近しい家臣たちの記録などでは出てこない、冷酷さを感じさせます。「○○するほかない」構文もですし、政宗に訴えたらどちらを取るかわかっているあたりが…いや…成実…こわ…てなります。
見る人が変われば、見えてくる人物像は変化する…というのがよくわかる記述です。

2022年振り返り&2023年ご挨拶

2022年もそろそろ数日となってきました。
コロナ禍が始まってから宮城にも福島にも北海道伊達市にも気軽に行くことができなくなりました。
2020年秋に不忘閣行ったのが最後ですよ…。
もうそろそろ大丈夫なのかと思うのですが、仙台市博が閉まっていることもあって、大がかりな展覧会がなく、行く動機にも苦労しております。
来年は一度はどこかにでかけたいと思います。

歴史探究は正直いつやってもいいし、いつまでやっててもいいので、あまり慌てておりません。
興味が広がることはあれど、10年前に取り付かれた成実公という人のチャーム、そしてその人の筆によって浮き上がる政宗公の人物像に今も惹きつけられております。
こんなにずっとハマっているとは思わなかったのですが、結構長いですね。
2012年からなので、本当に10年ですね。
いろいろありましたが、このブログも探究も、またのんびりとやっていこうと思っていますので、お時間あるときにふらっときていただければと思います。

北海道でなんかでかい展示ないかなあ…。
では皆様よいお年を。

読書感想『「奥州の竜」伊達政宗』

久々に出た読みやすい政宗関連書籍かなと思います。
最新の政宗通史として読みやすく、かつ踏み込んだ内容で、政宗に興味を持った人がいたら片っ端から送りつけたい感じ。
政宗の書状から見える人物像や言動を中心に、前半伊達日記、後半木村宇右衛門覚書に拠りつつ、政宗の「既存イメージに囚われない」人物解釈を丁寧にされてます。
佐藤先生は前に「伊達領国の展開と伊達実元・成実父子」を書かれていて、大森伊達家の認識については研究者の中でも深いと思います。下地にあるのが伊達日記なので(特に前半)あ!ここ読んだとこだ!これあのときだ!と進研ゼミができました。
突然サンドウィッチマン伊達さんの話が出てきたり、読みやすいです。
政宗と成実・景綱・綱元のいわゆる伊達三傑の話も多く、そこらへん好きな人にもたまらんものがあるかと。
政宗といえば前半生の戦ばかりの日々がフィーチャーされることが多いですが、秀吉政権の上方暮らしでの苦労や疲弊、そこからの家臣出奔、それを越えての家康への服従と平時の他大名との交遊など、素の政宗というか、「等身大の人間」としての政宗像を描いています。
母である保春院義姫との仲や、政宗が秀吉を輝宗のようだと言っていたことや、かつて対立した他大名との交遊など、先生の視点はおやさしい…と思います。
新書版ですが、読み応えも十分あるので、是非是非手に取ってみてくださいませ〜(って私はどこの回し者なのか)。

政宗の和歌①

政宗は和歌・漢詩を愛し、多くの詩歌を残しました。
『文武名将伊達政宗卿詩歌要釈』から、政宗の歌を書き出してみました。載っているだけで561首。
で、他の本に載っていて、ここに載っていない歌もあります。
本によって漢字や細部が違っているものもあるので、比較のために、とりあえず①として、記事にしておきます。
『政宗記』『木村宇右衛門覚書』『古典文庫 政宗公集』など参考に、新しく記事を上げていきますね!

『文武名将伊達政宗卿詩歌要釈』

昭和10年仙台扶揺会発行、鈴木栄一郎・千坂庸夫の著となるもの。政宗の和歌・狂歌を361首収録している。

年次明確なもの

文禄三年

原田左馬介二十九歳、対馬に於いて病死、公哀傷の余六字を句の上に置いて御詠

  • なつ衣 きつつなれにし 身なれども 別るる秋の ほどぞ 物うき
  • 虫の音は 涙もよほす夕まぐれ さびしき床の 起伏も憂し
  • あはれげに 思ふにつれぬ世のならひ 馴れにし友の 別れもぞする
  • 見るからに 猶あはれそふ筆の跡 今日よりのちの片見ならまし
  • たれとても 終には行かん道なれど 先たつ人の身ぞあはれなる
  • ふき払ふ嵐にもろき萩の花 誰しも今や 惜まざらめや

吉野山御会御歌
はなの願ひ

  • おなじくは あかぬ心に任せつつ 散らさで花を 見るよしもがな

花をちらさぬ風

  • 遠く見し 花の梢も匂ふなり 枝に知られぬ風や吹くらん

瀧上花

  • よしの山瀧の流に花ちれば ゐぜきに掛る波ぞ立ち添ふ

神前花

  • むかし誰 深き心のねざしにて 此神垣の 花をうゑけん

花の祝

  • 君が為 吉野の山の槇の葉の ときはに花の色や添はまし

慶長六年

元日子の日にあたり侍れば

  • あら玉の年に常盤の色ぞ増す けふの子の日の松のみどりは

故郷の花にあひて

  • ふるさとの一重の花も開くなる 思ひこそ遣れ九重の花

八月十五夜松島に於いて

  • いづる間もながめこそやれ陸奥の 月まつ島の秋のゆふべは
  • 月も今宵 名こそをしまず 夕波に たち帰りこん 命ともがな

慶長八年

八月、兼如上京の時鎌倉見物に御同道在て東西へ別れ給ふ時(真山記)

  • 月を見ば 同じ空ぞと思ひ出でよ 東のかたに心とめずも

慶長十年

三月十七日詩歌会の砌

  • いかばかり惜みても又惜まれん 春ごとに散る花と知らずば

仲秋、松島に於いて

  • 心なき身にだに月を まつ島や 秋のもなかの夕暮のそら
  • 所がら類は わけて無かりけり 名高きつきを袖にまつしま
  • 松島や 雄島の磯の秋の空 なだかき月や照りまさるらん

俄に空のくもり侍れば

  • かくるとも 月に怨は無からまし つらきは空の隔なりけり

慶長十三年

正月御帰国の途中

  • 初春の雨は旅寝もつらからじ うゑにし木々の花を思へば

慶長十四年

三月、松島瑞巌寺に入らせ給ひける時

  • 松島の松の齢に此寺の すゑ栄えなん 千代をふるとも

慶長十七年

四月、御新造様江戸にて御遠行のとき

  • たれも皆 終にゆく可き道ながら さきだつ人ぞ 哀なりける
  • おもひ寝に片敷く袖ぞ覚束な 秋ならぬ露の置くとせしまに
  • 世の中に濁にしまぬ身なりせば はちすの台 すみかならまし

慶長十九年

七月二十六日、越後より仙台へ御下りの時に永井荘を御通り

  • ふる里は 夢にだにさへ疎かりし 現になどか 通り来ぬらん

仲秋

  • 一年に今宵ばかりの月の空 たぐひ稀なる影を見るかな
  • 歌人の 秋のもなかの月になほ こころの中や澄渡るらん

慶長二十年

北野梅松院にて酒宴の折しも、ある方、盛なる桜御詠覧のみぎり皆人爛酔の余り、春の夕といふ題を給ひて

  • 花や花 それとも飽かぬ詠して ながき日影もゆふ暮の空

とかくして御かへさ近づきたれば、復たてまつる

  • 秋ならぬ露の袂を世の人の いかにと問はば如何こたへん

程ふるままに、田舎下りの折にも成ぬれば=頃はいつぞ、二月末弥生のはしめつ方、九重の花もやうやう咲そむるほどに=都の名残はよのつねさへあるべきに、ひと方ならぬ事をおもひつづけて

  • 思ひきや 八重九重の春にあひて はなの盛に 別るべしとは

斯くて都を立んとての二三日、雨打ちつづき、はるる間も無く振りぬれば

  • きぬぎぬの名残の泪雨とともに 昨日も今日も をやみだにせず

諸共に陸奥へ下らんといふ人ありつる。我は先立つ旅なれば、なごりを悲みて

  • ゆくすゑは 終に逢ひなん道ながら しばしも別る旅ぞ悲しき

すでに都を立ちて頓てあふ坂を越えしに

  • 都出でし名残つきせぬ逢坂に われを止むる関守もかな
  • 逢坂の関の此方に越え来れば みやこの山は打霞みつつ

近江の草津といふ所に着て、漸都をへだて来にけりと、旅の哀を思ひつづけ、仮伏の床さびしく枕をよするとて

  • 近江路や草津の里の草枕 なみだの露や置きまさるらん

兼興といふ友の爰に送り来て「九重の春に心を留めぬは美知の久山の花いかならむ」と詠める返し

  • 九重の春の名残は 如何許り みに住せぬは 浮世なりけり

近江のやす川に着て=此の程雨つづきたれば=川の瀬も心許なかりつるに、浅くて越えければ、狂歌とて

  • かちをだに 浅かりけらし 馬は尚 やすくぞ渡る野洲の川越

さめが井の宿とほりし時

  • かり枕 かりにたのしぶ夢だにも 今日醒が井の 身ぞあはれなる

下るままに、遠江の国浜松の里に暮て

  • 遠き江に はるばる来ぬる旅寝にも さびしさ添ふる浜松の風

旅のやどりに着て、いまだ暮がたき春の日影、長閑に、隔なきどちを談らひて色々の歌の題ども集め給ひて口ずさびけるに、よし野

  • 吉野山 みねも麓も白妙に ゆきも驚く曙のはな

落花

  • 咲きしより散るをならひの花ながら おくるる春は悲しかりける

道の日数かさなりて、駿河国に着て、富士の山=珍しからねど、また初て向ふ心地して=詠めにあかぬままに

  • 見ぬ人の とはば如何にと語りなむ いくたび変る富士のけしきを

清見が関を行くに、折しも月さやかに、海上まんまんと昼の如く照して面白き気色なれば、興に乗じて

  • わたつみの浪のよるとも見えざりし 隈なくてらす月清見がた

元和三年

正月元日、春立ちけるを

  • 折にあひて春も立くる門の松 今日や千歳のはしめなるらん

元和四年

三月二十一日江戸に於いて

  • 諸人は薄花染のきぬぎぬと うらみ顔にや帰るかりがね
  • 花咲けば蔭さりかぬる諸人の 心にかはる春のかりがね

五月二十八日、摂津守(政宗五男・忠宗御一腹)宗綱君御逝去、御追善

  • いとけなき人は見果てぬ夢かとよ うつつに残る老の身ぞうき
  • 散るとても御法をうくる華の舟 うかびて倒る汀ならまし

仲秋。今宵の月明かなる秋にあふ事のまれまれなるに、いとど過ぎにし春夏かけて、きのふまで日数ふりにし空さへ霽れて朗かなる影にあふ事の嬉しさの余、拙き言葉を連ねて夜遊の興を催し侍る

  • きのふまで降りにし雨も心して 今宵くまなき月にあふかな
  • あらたなる光を月に添へんとや 今日よりさきの雨は降りけん

茂庭石見綱元=入道して了庵=高野へのぼりの餞別

  • 行くとても茂る木蔭の涼しくば、夏来にけらし 立ち帰りこん
  • ゆくも濡れ 残るもしぼる袖の上に とどめも遣らぬ名月の影

元和五年

正月、元日

  • 年のあけて春はまだきの折ながら 花と降りしく庭の沫雪

元和八年

元日

  • とよの年 降りつむ雪と伝へ来て 言の葉しげき 今日の春かな

二月朔日、奥山長十郎年長に下されし御詠歌

  • 年の内に復あらたまる春霞 かさねし代々の門の松が枝

仲秋、江戸において

  • すさまじく過ぎにし夜半の秋風に名高き月のかげぞ隈なき
  • 秋も半 月もなかばの今宵とて 千尋のそこも澄める池水
  • 秋なかば詠むるままに月更けて 山の端つらき暁のそら

元和九年

御母堂保春院殿、七月十七日御逝去の由、京都にて八月初聞せられ御いたみ

  • たち去りて浮世の闇を遁れなば 心の月やなほも曇らじ
  • 鳴く虫の声を争ふ悲しみも 涙の露ぞ 袖にひまなき

西洞院宰相(時慶)より母の弔として法華八軸をおくられてまひける御返し

  • わたつみに分入りしより垂乳女の 仏となれる法の花かも

西洞院右衛門督時直卿の悼の歌賜ひける御返し

  • 先だつも残るも同じ道ながら もろき柞の なげき敷かず

時興の、いたみの歌に返し

  • 仲々に とはれぬ先は藤衣 とふに勝れる袖のつゆ哉

寛永二年

正月元日試筆

  • はる日影 くもらぬ空は長閑くて 風もおとせぬ世の初かな

正月十一日。御城菊の御座敷にて。春(探題*1)。

  • 春風も外山のおくも雪消えて のどけき空に帰る雁がね
  • 山々の霞の衣かさなれば 花もひもとく春は来にけり

同じ詩歌会にて、寄松祝

  • 君が為 ひくや子の日の姫小松 千代もかぎらじ年を経るとも

二月十七日仙台城博多の間詩歌御会、春日詠江上霞

  • なには江や浪も無きまで霞つる 末のほのかなる海士のつり舟

暁時鳥

  • ききて尚またれぬるかな時鳥 横雲かかる 空のひとこゑ

立春

  • 立春の霞の衣うすけれど きのふには似ぬ世のけしき哉

三月八日覚範寺にて探題。名所月

  • 曇るとも照るとも同じ秋の夜の 其の名は四方にさらしなの月

六月十九日、江戸にて、納涼

  • 村雨の過行くかたの野辺よりも すずしさ誘ふ 蜩のこゑ

同じとき、仲秋(慶長十一年作説あり)

  • くもるとも照るとも同じ天の原 今宵の月の名やはかくるる

八月十五日、江戸にて

  • 曇りしも晴るるも同じ天の原 こよひの月の名をや詠めん
  • をしめども秋の最中の月ふけて 乱るる鶏のこゑも物憂し

寛永三年

五月二十日御上洛の供奉、江戸御立、御登の時、あつさの余夜をこめて箱根を越ゆとて

  • 短夜の明けもやすらん箱根山 木深き蔭に 夏ぞ忘るる

富士山

  • 見る度に気色ぞかはる富士の山 はじめて向かふ心地こそすれ

清見関

  • 名どころの清見が関と聞しかど かげは留らじ 山の端の月

仲秋

  • 雲霧は立ちへだつとも秋の夜の 名高き月の名やはかくるる
  • 明日よりは秋の半も過ぎぬべし 名残はいとど山の端の月
  • 久堅の雲の上まで道もがな こよひの月の影を見る可く
  • 有明の月は雲路に隔つとも 秋の最中を如何で隠さん
  • 久堅の雲吹く風に身をなさば こよひの月の影やはらさん
  • 名ばかりは在原寺の月なれや 雲にさながら有明のそら
  • 待来つる今宵の月の曇らずば なほ九重の眺なりなん
  • まち得ても秋の半の曇夜は 雲のいづこに月の行くらん

九月八日、二条御城において御会。契竹遐年。

  • 呉竹のよよに齢を契りつつ きみや千歳の秋を重ねん

同年下向の節、近衛様へ

  • けふ出でて明日より後は袖の露 ほす間はあらじ飽かぬ別に

寛永三年

孟冬■、菅野勝三郎*2にくだされける即興

  • 時も時そでに時雨の乱る哉 如何にやせまし浮世うらめし

寛永四年

年内立春

  • はるは来て未冬木の梅が枝に 今朝しも雪の花とこそ見れ

正月十三日。若菜知る時(探題)

  • さえ返る春とは云えど時を得て 雪の下にも摘む若菜かな

七夕。

  • たなばたの一夜の契あさからず 鳥が音しらぬ 暁の空

寛永五年

正月元日(寛永元年説あり)

  • おさまれる御代のはじめの年越えて 風も音せぬ新玉の年

同子曰

  • 谷深く冬ごもりせし鶯の けふの初音に声ぞしるけき

古今伝授の事を

  • いにしへも今も伝ふる道なれば 教やなさん おろかなりとも

同六月二十七日東禅寺嶺南和尚請待の時

  • 南より吹きにし風の匂来て すずしさ添ふる鄙の栖居も

七月十七日東禅寺へ初めて御出の時、水辺月

  • 池水の底さへ月の影澄みて 心にかかる雲霧もなし

山家(探題)

  • 山ざとは人音まれに住みなして 戸ぼそを敲く嶺の松風

仲秋

  • 浮雲はたち隠すとも久方の な高き月の名やは隠るる

九月十三夜

  • 夢の間と 秋の半も過ぎけらし こよひの月の名残いくばく
  • 雲かかる秋の最中の恨をも 今宵の月に晴らしてぞ見る

寛永六年

若林に於いて

  • 鶯の おぼろの声も明かに 春や立ちぬと 今朝ぞ知らるる
  • 氷ゐし苔の下水うち解けて 流にしるき今日の春哉

正月十七日、詩歌芳苑宴

  • かうばしき園生の花の盃は 重ねても又重ねこそすれ

閏二月二十一日江戸へ御立、将軍家光公御疱瘡御吉左右申来。郡山より晦日に帰国にて

  • おもひきや遥かに隔つ故郷に 馬にまかて帰るべしとは

三月二十二日御花見出御ー若林の屋敷より御城に御登り、花の心を

  • 見るからに心ぞ千々に砕けぬる 世に類なき花のなごりに

七月二日、初秋

  • 鳴蝉の声もかれぬる梢より おのづからなる初秋の風

七月七日、七夕

  • いくとせか心変らで七夕の 逢夜いかなる契なるらん
  • 七夕の逢瀬ながらも暁の 別は如何に 初秋の空

八月十五夜

  • 幾秋の月は見しかど類なき こよひの月を如何に眺めん
  • 池水にうつれる月の影見れば 清きに清く澄みわたる哉

九月十三夜

  • 迫り来て秋の名残は 今宵ぞと 詠も深き長月のかげ

年内立春

  • 年の間に今日立春のしるしとて 軒端に近きうぐひすの声

十二月二十九日、歳暮

  • くれ果てぬ年の内より春たちて 今日といへども心のどけき

寛永七年

正月一日

  • 年越えて霞める空に雨の糸の はなの錦や 織出すらん

二月晦、夢逢恋(御当座)

  • あふと見て寝にし夢の名残には 袖はなみだに伏し沈みぬる

六月十九日、龍宝寺にて、池上納涼

  • 池水のさざなみ寄する夕風に 夏も扇を わすれぬる哉

八月、武蔵野月

  • いづるより入る山の端はいづこぞと 月に問はばや武蔵野の原

歳暮

  • 老楽の月日はいとど程ぞなき をしむに勝へぬ年の暮哉

寛永八年

正月元日

  • 立ちかへる年の朝はのどけくて はるかに霞む山もとの里

同晦日、春雪

  • 花とのみ梢にかかる春の雪 日影になれば朝貌の露
  • 白妙に降るともなどか春の雪 きゆるに萌ゆる野辺の早蕨

三月昼

  • 散過ぎて花は名のみの今日の暮 はる復またん命ともがな

近衛殿に相登られ、春

  • 春の来て霞の衣かさぬれば 花も紐とく三吉野の山

卯月九日、東昌寺方丈落慶式、真如堂に御出、新寺祝(御当座)

  • あらたまる栖居は松に立並び 千代の齢を契り込めつつ

同日詩歌合於東昌寺。新緑

  • ちり過ぐる花の梢は緑にて ながめぞ移る 四方の山なみ
  • いろいろの花の片見と一色の 青葉によせて詠めつる哉

五月、窓前蛍

  • 影細く月や出づると詠しは 窓の蛍のひかりなりけり

寛永九年

正月元日

  • 年と月と日の始めなる朝ぼらけ のどかに霞む四方の山並み
  • 例ならぬ君が心地も春日よりや 更りなん新玉のはる

正月二十四日、将軍家(秀忠)薨去せさせ給ふ時

  • さりともと思ふにそはぬ涙哉 夢にもかよへ死出のおもかげ

二月下旬、庭前惜花

  • 花ざかりかつ散りぬれば惜まるる 風より後の心地いかにや

弥生六月、暮春花

  • をしめども暮行春とちる花を松の常盤にうつしてしがな

三月十九日東禅寺御出、新寺祝

  • あらたまる古寺の砌を来て見れば 千代のよはひと松ぞたちける

三月十九日、雨ふりければ

  • 花ちりぬ空しき枝を詠むれば 其色となく春雨ぞふる

六月、保春院にて、夏月

  • 霖の雲間に影は仄かにて いる程ぞ無き夏の夜の月

八月下旬、東禅寺嶺南和尚請待のとき、早秋扇

  • 手になれて馴す扇ぞ忘らるる ひややかに吹く風の音より

九月十三夜、毛利甲斐守(秀元)亭にて

  • みる月の秋の半は過ぎぬれど 所がらにや光ますらん
  • 最中より今宵の月と契りこし あきも更け行く暁の空

寛永十年

六月二十四日、光明寺に於いて、涼簾

  • むらさめの過ぎて涼しき夕影に 釣簾のそともは月ぞさやけき

寛永十一年

正月元日

  • 年と月と日も新玉の今日とてや まつも子の日の春にあふ哉

二月二十四日。翫花

  • 咲きしより雲はあや無し所がら 千々に心のくだけぬる哉

御上洛供奉、御上京中八月十五日夜雨にあふ

  • やみなりと其名くもらじ今宵とて 月はそなたか雨はふるとも

八月

  • 我宿の庭の村萩咲きしより 思ひぞいづる宮城野の原

京都にて八條宮様へ千鳥御進上の時

  • 我心おもひくらべて啼千鳥 また来ん秋の友やまつらん

寛永十二年

三月十三日探題、翫花

  • 咲しより今日散る花の名残まで 千々に心の砕けもぞする

八月十五夜

  • 曇り無き雲はあやなし所がら 秋のもなかに逢ふぞ嬉しき

九月はれて

  • たぐひ無く晴行く月を松島や 心も清くすみ渡るかな

寛永十三年

正月、元日

  • 年と春と同じ日影に迫来て おさまる御代の例しるけさ

三月二十八日、詩歌合

  • 旅たたん程も無き間の花ざかり 詠めてもまた名残いくばく

御辞世

  • 曇りなき心の月を先たてて 浮世の闇を晴れてこそ行け(『治家記録』照してぞ行く)

年次不明

元日

  • 四方の海浪も静けき年なれや 花もゆたかに開く梅が枝

七日子の日

  • 若菜つむ野辺に小松の子の日して 千代のためしを引くぞ嬉しき

立春

  • 年越えて今日立春のしるしには よもの気色も時めきにけり

都早春

  • 所がら さぞや色香も思はるる 花まちかぬる九重のはる

早春霞

  • 昨日今日春は来にけり山本の 景色のどかに立つ霞かな
  • 春がすみ立ちにけらしな足引の とやまの奥は雪ぞのこれる

江上霞

  • 見渡せば霞にけらし住の江の まつに音せぬ春ぞ長閑けき

関霞

  • かすみつる程は夢路と行春を とむる由がな逢坂のせき
  • 都をば霞隔てて逢坂の せき越えかぬる旅のやすらひ

都春

  • 東方ひなの住居も花盛 さそふ都の春ぞ思はる

谷水

  • 春風に谷の氷の解しより 音ぞまされる山川の水

谷残雪

  • 日影さす四方の山並み春めきて 深きにのこる昨年のしら雪

春雪

  • 春まだき木々の梢に降雪は 花かどのみぞ疑はれぬる

山吹花を人におくるとて

  • 便ありて思ふことのみ伝へなん いふに甲斐なき梔子の花

うす色の椿を人の方におくる

  • 薄くとも心の程を見よや君 花に千入のいろはなくとも

正月二十七日柳生又右衛門宗矩歌よみておくられて御返し

  • 冴えかへり咲ことおそき木の本に 今朝しも雪の花とこそふれ

雪中梅花

  • いかなれば梢も氷る雪の中に しらず顔にも梅の咲くらむ

山花

  • 都にはうつろひにしを今更に山の桜ぞさかりなりける
  • 春毎のながめながらも飽かざるは 吉野の山のさくらなりける

月あかるき夜盛の花を見て

  • 梢まで咲も残らぬ花に又 さやけき月の光さへそふ(『治家記録』影も照りそふ)

さくらを

  • 春毎にあかぬ詠の桜花 あめと知れても散るは物憂き

此家のあるじ、とかくして此春の花を見ずなりければ

  • 梅桜咲と斗に暮れ過ぎぬ 人の世談おもかげにして

うゑ置きし花の咲がちなる折りしも、旅立とあれば「此春は此花の盛には逢わで」と打歎く程、たびたび降るにつけつつ一夜二夜に開き、既に盛を見する嬉しさの余りに

  • もの云はぬ花も心の有顔に まだきに咲きて影や見すらむ

世に稀なる普賢象という桜にて、花と雪をしとね重ねたるやうに見ゆ。皆人飽かぬ詠につけつつ

  • 尋常(よのつね)の花とは見えず木の下に かえるさ惑ふ雪の夕暮

故郷の花見とて、友どちかたらひ日ぐらしながめて

  • 誘来て花に暮せる木の下は 一方ならぬ名残なりけり

御庭の桜を折りて、御女の御方(いろは姫)西館へ送遣さるる御文の中に

  • 旅立たん事をおもへば桜花 一重ならずの名残なりける

年毎に国にゆき、此所の春に此歳はじめて逢ひけるに、折しも雨いたく花を打ちすさみ、うつろふ色見えへれば

  • 過ぎがてに人や見るらむ我為は 逢ふをはじめの春も初花

花を惜みて詠める

  • 見も飽かぬ此一もとに別るるは 散る花よりも名残こそあれ
  • 今日はただ風も厭はじ花桜 千代の春をも結び込めつつ

適々今年故郷の春に逢ひ、庭の八重一重咲も残らず、詠めくらし、言葉の続きも知らねど、興にまかせて

  • 袖寒き(『治家記録』く)雪ふる里の春ながら 花のさかりに逢ふぞ嬉しき
  • 年毎の花ながら猶此春は にほひも八重の庭の梅が枝

今井宗薫へ詠みて遣しける

  • 降くるは雨も花見かくらぶ山 袖うちしぼれ 休む木の本
  • 咲残る桜が花を急がんと云わぬ許りの興の春雨
  • 咲残る花はしばしも有らば有れ 花見の君をとむるはるさめ

題知らず

  • 曇なき鏡のかげを見るからに 心もはるる年の春かな
  • もの云はで止む許りの花盛 いかでか人の急ぐかえるさ
  • 春風に散敷く花の残れるは 稀に訪ひくる人のためとや
  • 花かとよ梢の雪のかつちれば 春やくれぬと驚かれぬる
  • 色深き松はみゆきの春待ちて 幾千代までの緑そふらむ

新樹

  • ちり過ぎて其かげも無き庭の面は 青葉のいろや花に劣らじ

郭公

  • なかぬより涙ぞ落る時鳥 いく夜かさねむ待つとせし間に
  • 夏来ぬと春の霞の衣がへ 待ちかねつるや(『治家記録』ぞかねぬる)山郭公
  • 待詫てまどろむ程の暁に 心有りげなる(『治家記録』ける)初ほととぎす
  • まちわびて喞顔なる暁に すずろに名乗る 山郭公

暁郭公

  • 聞くも猶またれぬる哉郭公 空もおぼろや夜半の一声
  • 一声は夫れとも別かぬ郭公 ききてしも待つ暁の空

聞郭公

  • きかずとや問ひ 問はれぬる時鳥 まだ見ぬ人を知る人にして

五月郭公

  • 五月雨の夜半も淋しき暁に なく郭公友とこそすれ
  • 霖の雲間の月ぞおぼろにて 更行くそらに鳴くほととぎす

窓前蛍

  • 聚ても其の甲斐ぞなき数ならぬ 身には蛍のまなび無ければ

夕立露

  • 夕方のはるる程なき雲間より おぼろげならぬ月ぞ出でける

夏草

  • ゆふ立の風ぞ片よる夏草の 影はすずしき宿りなりけり

夕納涼

  • 村雨の降りにし方の空霽れて 夏を忘るる袖のゆふかぜ

浦夏月

  • 明石潟みじかき夜半の月影は 詠め程なき横雲のそら
  • 冴渡る月は雄島の浦なれや 詠も飽かぬ夏のよ

川夏祓

  • 御祓せし程ぞ涼しき夏かげや 清瀧川の波のしらふゆ

元日雪の降る事を

  • 年越えて花はまだきの空ながら それかと見せてかつ降れる雪

題しらず

  • 吉野山桜が枝に雪ふりて はなおそげなる年にこそ有れ

茂庭采女(兼綱)に下さるる御書の中に、書添えて賜りける

  • 我宿に花咲とても覚束な おもひも寄らじ雨の夕暮

題しらず

  • 雨に雨ふりにし夜半の暁は よこ雲はれて長閑けからまし
  • うつしける庭の桜の影みれば 花ひとしほの万代の春

茂庭周防良綱宅へ、饗し奉るに就いて、御出ありける時、庭に桜を片寄せて栽置きしを見給ひて

  • 色変る花をみぎりに片寄せて うゑしは秋の月や待つらむ

題知らず

  • 雪ならば詠は如何にかはらまし はなの吹雪に戸を開く哉

春の夜の短きを悲いて

  • はるの夜の夢だに見せぬ短かさを 明くると告ぐる鳥ぞ物うき

即興

  • かりそめに立寄りぬれど時うつる 花の心やときはなるらむ
  • 今日の雨は我を止むと降るやらん あかれぬ先に帰りこそすれ

雨後時鳥

  • さみだれの暁行く空に郭公 声もをしまず鳴渡るかな

題知らず

  • 曇がちに雨そそぎせし今日の日を 心もはると鳴くほととぎす
  • 池水の流に夏はいざなひて まだ来ぬ秋の色を見るかな
  • 湍つ瀬の岩井の水を掬ぶ手に すずしき秋を急ぐ松風

立秋

  • 秋は今朝立ちくる空の涼しさを 何にかへてむ袖のはつかぜ

初夏風

  • 秋来ぬと告渡る哉萩の葉に そよと許りの風やふくらん
  • 萩が枝にひたすら置ける白露の 玉をみだせる初秋のかぜ

八月十四日夜月を見て

  • 本よりも月には厭ふものながら 雲間のかげに詠めこそ有れ

八月十五日夜

  • 絶え絶えに天つ空なる浮雲を 月にかけじと秋風の吹く
  • さやかなる今宵の月を見る人や 心もそらに澄みのぼるらむ
  • 今宵しも秋の半は更にけり 名残つきせぬ山の端の月

八月十五夜くもりがちなることを

  • いづるより時のまにまに晴曇り(『治家記録』る) 月に幾たび物おもふらむ

八月十九日の夜夢想

  • 桜花折りてかざして其儘に 人の心の色をみせむと

塩竈より松島へ浦伝して

  • 月はただ隈なきをのみ人や見む 曇る景色のしほがまの浦
  • 年たけて年に一度の月影は いとど雄島のながめなりけり

九月十三夜

  • 暮過し月の月夜はくもれども 秋のなごりに晴らしてぞ見る

中秋月

  • ながむれば都も同じ月の名の 今宵へだてぬ影を見る哉

(『治家記録』ながむれば都の月も同じ名の 光ほどなき影を見る哉)
山中月

  • いづるより詠むる夜半の程ぞ無き いつ方ちかき山の端の月

海辺月

  • 和田の原はてし無迄さやかなる 月に心や須磨のうら人
  • 長き夜を今宵明石の浦に来て めもあかで見し有明のつき

閑夜搗衣

  • 静なる夜半の搗衣(きぬた)の聞え来て ゆくへも知らぬ袖のつゆ哉

島津中納言家久卿より。「契あれば今宵さながら池水に千代の影すむ長月の空」と詠みて送られし返し

  • 契ありと人の言葉聞からに 心もすめる月の影かな

中川半左衛門より歌よみて送られし返し

  • 情ある友と契りし月ならば 幾程とても色はかはらじ

東福寺哲長老の作に「十倍催花雨、楓林作夜霜」と云ふ連句の心を

  • 春雨にひらけ始めにし花よりも 尚いろまさる霜のもみぢば

西桐院宰相(時慶卿号松庵)より、月送行客と云題にて「今日よりは むまや路遠くなりなまし 顧みもせよ月の都を」とよみて餞し給える返し

  • 本よりも月の都を思ふには 一方ならぬ名残なりけり

松島にて船に機おり虫のありければ

  • 草ふかき野辺にはすまで機織の ぬきか足らぬか羽衣に来ぬるは

題知らず

  • 山姫の織るや紅葉の唐錦 夕日になほも一入の色

初秋の雨

  • きのふまで暑さ残れる物憂きに 今日の雨よりはつ秋の風

八月十五夜

  • 秋風になびくや雲の絶間より 洩行く月のかげぞさやけき
  • いつしかと去年の今宵に廻り来て 積れば老と月もうらめし

八月十五夜曇りければ

  • 秋の最中さやけき影は無けれども 思ひこそやれ雲のそなたを

題不知

  • 今ここに月は出るともろともに 心にかかる雲霧もなし
  • 染色の雲も詠めもことなるに はつ雁かねぞ空に渡れる
  • 月見れば千々に物こそ思はるれ 思ひおこせよ君の俤
  • 曇るとも科はあらじの雲なるに あやなくかくす空の浮雲

月の夜舟

  • 明石潟月もろともに漕出でて 遙かの岸も程なかりけり

嵯峨の西芳寺にて

  • 音に聞きし嵯峨野の庭に来て見れば ことの葉も無きけしきなりけり
  • 蔦紅葉さかりの秋を詠むれば はなの錦もよそに有らじな

野外雪

  • 深山辺はかねてや深く積るらし けふは野原も雪ぞふりける
  • 春日野にむらむら降れる白雪は 散りしく花の心地こそすれ

関雪

  • ささずとて誰かは越えむ逢坂の 関の戸うづむ夜半の白雪

久忍恋

  • つつめどもつらきが中の年を経て 今は涙も色になりなむ
  • 忍ぶれど程ふるままに今は唯 おさふる袖も色に出でなむ
  • ながらへば我名や立たむ世中に 住むも物うき身ともこそ成れ
  • つらけれど憂身の程を思ふにぞ 恨みがほなる過ぎし年月

後朝恋

  • 逢見ては何か恨みむ我心 わかれに成りてそことしも無し
  • 逢見しは今日の昔と成りにけり しほしほれ行く袖の上かな

(『治家記録』逢見れば今日の昔と成りにけりなおしほれ行く袖の上かな)
遇不逢恋

  • こひこひて遇ふ事嬉し片絲の ふかき思の残りぬるかな
  • 逢初めて隔つる中の物憂きは など中々の契なりけむ

不逢恋

  • 逢とみて覚つる夢のなごりにぞ つれなきよりも悲しかりける

寄文恋

  • 思ひ余り露と消えなむ身の憂さを 文ならずして云ふよしもがな

寄絲恋

  • くり返し恋しき人を思ふには いとど心のむすぼほれつつ

寄月恋

  • ほの見れば夫れとも分けて別れにし いる方いづこ三日月の影

寄水恋

  • おき伏を分かぬ思の中だにも 浪のよるよる物ぞ悲しき

寄岩恋

  • 思ひつつつれなかりつる人心 いはぬ許りに年を経るかな

寄松恋

  • 幾しぐれ袖の涙は降りぬれど 君が心は松のいろかな(『治家記録』かも)

題知らず

  • 中々にうときが人の情なり なさけは人の仇とこそ成れ

はかなく成し人の夢に見えければ

  • あふと見し夢はさながら現にて 現はゆめに優るともなし(心地こそすれ)

寄神祝

  • 千早振 神のいがきの一夜松 ひと夜といへど万代や経む

社頭祝

  • 君が代を千代万代と祈る哉 かみ住吉の松にたぐひて
  • 玉垣や内外の神の御末にて いまぞ栄ゆる人皇の御代

山鳥

  • 山住はいとど淋しきものゆゑに すさまじくなる鳥の音ぞ憂き

湖水眺望

  • 出るより心も氷る月影や 志賀の浦わの詠なるらむ

旅宿嵐

  • 山高み麓の里に旅寝して 嵐の枕ゆめもむすばず
  • 行暮れてやすらふ宿の小夜嵐に 旅寝の床のゆめも結ばず

花壇橋大水にて落ちけるとき

  • 世の中を渡らむ様は無かりけり 二の橋の流れおつれば

橋かけさせむとて

  • および無き雲井の上の橋なりと 思ひかけなば終に渡らむ

宮城野の傍、木苗畑といへる所に、子もち栗といへる名木の御歌

  • 子を持たぬ女にかせよ陸奥のつつじが岡の名にあふせの栗(こふせいの栗)

名取川

  • 皆人はかへる浪なる名取川 我はのこりて瀬々の埋木

舟の中にて

  • 磯辺とぐ水に深山の影そひて(『治家記録』みえて)峯にも船のゆき通ひけり

盃の絵のこぼれ桜を

  • 散りしくや花の名残を受けとめて 汲むも嬉しき春のさかづき

れうしはこのいはひ

  • 男山しるしのはこと祝ふなり 護の神に身をまかせつつ

伏見へ上り給ふ折節横田道斎によみて贈りける

  • からさきの松にたぐへる我が身哉 独ふしみに行くぞ悲しき

柴田郡砂金の川猟に、鱒といふ魚をとらせける時

  • 今日はただ淵の底まで曇なき 是れやますみの鏡なるらむ

牡鹿郡遠島より船にて塩竈の浦に至りて

  • ひとつ二つみつ塩竈に着きぬれば 遠き家路も近くなりけり

武佐といふ里に、旅のやどりし侍る頃、兼興と云ふ歌人のとひけるに

  • まれに訪ふ旅の宿りの歌人を むさくさしとて返しつるかな

谷村金右衛門長吉へ、「宗竿といひあはせ、ほたるの尺八手に入るように才覚あれ」と仰ける文の中に

  • 飛ぶ蛍くもの上なる物なりと なる可きならばかりに告げ遣せ

治部宗実、伊達安房守成実の嗣となり、亘理城に移されし時(原文では実宗と書くが、間違い)

  • 末はるかすむ可き方に身を寄せて わたり初めぬる事ぞ嬉しき

題知らず

  • 見れど見れど見わかぬ物は 雪の日に飛ぶ白鷺と闇の夜烏
  • などて斯く色かはりけむ 木にも非ず草にもあらぬ人の心は
  • おろかなる心の限りあらはして 千尋のそこを汲むよしもがな
  • 山深み中々友となりにけり さ夜ふけ方のふくろふの声
  • よそながら其方の空と詠むれば 月さへも亦雲がくれにし
  • 見るからに主の心とりそへて 今もよしある花の俤

人に名残をしみて

  • 秋の日の程なき事は本よりも ひとしほ思ふ今日のゆふぐれ

御屏風に浦々島々の景を絵かきたるを見て、和歌を奉る人有りければ、御返し

  • 絵にうつす影さへ人の目を留めし まことの浦の月は如何にや

題知らず

  • 春と秋と詠変わらじ老の身も 梅と菊とに契置きてし
  • 紫の色も妙なるかざり縄 これぞ昔のゆかりなるらむ
  • 君に我よも逢はじとぞ思ひしに 定なき世や今は嬉しき
  • あやなくも遙の旅をしのぎ来て そのみちのくを思ひこそやれ
  • 人よりも心の限ながめいる 月はたれとも分かじ物ゆゑ
  • 梓弓いるさの山に惑ふかな ほの見し月の影や見ゆると
  • 心いる方ならませば弓張の 月なきそらにまよはましやは
  • 飛鳥川ふちせの変る世なりとも あすと定めて如何かはらん
  • 暁のゆふつけ鳥のあはれなる ながきねぶりを思ふ枕に
  • 浜風に浪の立寄る音はして しほ干るひまは夜さへも無し
  • 仏には心の底ぞ成りにける まぼろしの身を思ふ許りに
  • 旅衣わかるる袖は露けくと はなの頃しも立帰りこむ

月送行客

  • はるばると送来にけり旅の空 月はなにぞの縁なるらむ

(五月越府にて康庵頬を腫らしたる時)

  • 五月雨は霽れもやらずて如何ならん ほうの腫るるは何のむくいぞ
  • 篠崎は難波の浦にあらねども あしの枕を今宵こそすれ

(寛永三年、「御上洛の時分、ことの外炎天の折ふし、御前に石母田大膳相詰候而御狂歌」と首書あり)

  • 母田は常に不作と聞きつるに ことしの日照何とするらん
  • 石母田ことしの日照てるなれど 水沢なればいづれ繁昌

(首書「衣更着中旬、御鷹野の砌、久喜に於いて、快庵法橋へ梅花一枝を贈下之時御狂歌」)

  • おおむろに花の庵とおくりつる 此の一枝をあふぎこそすれ

(首書「我が林の館へ移り給へる時御祝」)

  • 隠居らむ栖処求むる今日とてや たからも夫れと雨ぞ見せける

(首書「宮内因幡常清に屋敷を賜はり、移徒し侍りければ」)

  • わたましの祝に飾る砌には 祈りも叶ふ宮の内かな

(首書「駿府へ登給ひし比、旅の狂歌とて」)

  • するすると旅をするがのしあはせは 富士の山にも劣らざらめや

(「御鷹狩ありて帰給ふ道に、螢川と云川ありければ」)

  • いつ見れど今宵はしめて蛍川 秋風ふきてかりの時分に
  • 狩暮し家路を急ぐ折ながら 蛍川辺に身こそ留まれ

(「桃生郡深谷のうち四竈川うし波の渡にて」)

  • 歩路行渡れば深谷四竈川 うし波たちて袖ぞ澪れける」

(「北上川大まがりの渡にて」)

  • 此川は大曲とぞ聞つるに まっすぐに行くわたりなりけり

(「遠島へ御出の時、大原と云浜にて」)

  • 大原や小塩も此所にみちのくの 波の花こそ見事なりけれ
  • 日の中に幾度物を食ひけれど ひだるさや増す大原の浜

(「高屋松菴に詠て賜りける」)

  • 此の程の薬の験そのままに 本復しける事ぞ慶でたき

(「大江長四郎本復しての事を」)

  • あすは又もとのちやうしを取持ちて逢ふ事うれし万代の春

(「八月十六夜御月見御酒宴の時」)

  • 月ぞすむ廻来にける盃に いざさら今宵いざよみて見む

題知らず

  • 春雨に淋しさ増さる舟の中 情あらなむともの人だち

(「春の比風気にて鼻の痛みければ」)

  • 春風の吹きしをりぬる夕より はなの痛みと成るぞ悲しき

(「海猪」)

  • 取来たる肴は今日の御座敷に いるか要らぬか試よ人

題知らず

  • 入物の中に見えたるかみはただ 伊勢の内宮ままにこそ在れ

(「鷺の絵かきたる扇を見給ひて」)

  • 銀扇に書連ねたる白鷺は いづれを絵とも見別かざりけり
  • 今ここに狂言太夫なけれども 鶯は順逆とびちがひけり
  • 変らじと思ふ心の前髪を はらふは床の秋の初風

(「秋保の御川狩の節、湯単衣をめされければ、内馬場縫殿奉らんとせしに、御袖綻て有りければ、不念のよし申上げければ、御狂歌を賜り、返しあらば罪を赦給はんとて」)

  • 浴単衣ほころぶるとも大事なし 内の馬場なる縫殿にまかせて

(「桃生郡の名振と云ふ浜にて」)

  • ものを知らぬ鄙の者とや皆人の なぶりて笑ふ事のくやしき

(「御在京の節、室町を通り給ふ時、鶉の声を聞給ひ、売物か承り来れと杉田弥治右衛門に仰つけられければ、其主へ尋ねけるに、黄金数枚ならば進らせんと答奉りければ」)

  • 立寄りて聞けば鶉の音は高し 欲には人のふけるものかな

(「根の白石御川猟の節、大浪右京・磯野左近沈酔して、御膝を枕として臥しければ、二人の前髪を取給ひて」)

  • 春の影秋の夕に習ひ来て 月と花とに身をやつすかな

(「佐々若狭嫡子をうしなひー又作と云へる次男は有れどもー愁傷に勝へざりければ、御狂歌を賜はりける」)

  • 冬ひらく梅はさながら散果てて 残れる枝に花やまた咲く

(「御鹿狩に出給ふ所、松島の北方、赤沼といへる所へ、山岡右京罷出で御酒肴を奉りければ」)

  • 山岡にすゑ並べたる酒肴 ひとつ右京と思ふばかりぞ

(「済家の長老十余人を招給ひ御酒を賜はり、御自身御肩衣を取給ひ、僧どもへも休息の命有りて袈裟を取りて面々寺へ返しければ」)

  • 御僧達きげんも好くて寺々へ 袈裟を返して酒となりけり

(「ひととせ将軍家に従ひて御上京のをり、禁中にて公卿が『仙台候のの国許は人の言葉をかしと聞く。国言葉にて歌詠みて見せ給へ』とありければ」)

  • 東から真赤な月がずばぬけて いづこの雲にのたしこもらむ

(「生巣原といへる野に鷹狩し給ひ。爰彼所に御歩行まします折節、御足軽の者かくとも知らず唄ひ私語居しを『いかなるぞ』と尋ねさせ給へば、この者ども驚入申上げるは『御扶持米を下されける其の悦にて、斯様には云候』と申上げければ、御悦喜の御顔ばせにて、御狂歌を下されける」)

  • 鉄砲衆たまたま爰に寄合つて 鉛言葉にはなしこそすれ

「名取郡海道近くに、般若坊と云へる法師あり。これが松の五葉を奉らむとて、『庭の松五葉とあれば奉る君も千代ませ我も千代まつ』此法師の事ほとんどやさしく思召し、御狂歌を賜りける」

  • 心経のまかの下なる般若坊 一切公役無役たる可し

「元和の末狩に出でさせ給ひ、かつは民の苦楽をも御心にかけ、山野の景色をも見給ふべきにと、民間の居続きなる木の下を通給ふに、卯月の末の事なれば、麦の上より穂の出で有りしを見給ひて『此麦は如何に』と問はせ給へば、御供に居ける侍の輩、大麦なりと云ふも有り、また小麦なりと申けるも有ければ」

  • 大麦も小麦も更に見えわかず 原問答と之を云ふべき

「烏丸大納言光広卿より、肥後のつるし柿に『人丸の烏帽子のみかは山ぶしのときんと見てもかぶる肥後柿』と狂歌を添へて送られし返し」

  • 烏帽子とはまことなりけり此菓子を 拝領まうすからす丸柿

「岡本竹庵に増すを賜はりける御文の中に」

  • 色々と肴ありとも恐らくは 尊き魚にますものは無し

「山の寺にて、塔頭の僧侶いづれを問へども、皆長老のよし答ふ。又この寺より佳品の茶を出しければ 、興じ給ひて」

  • 山の寺させる修行はなけれども 老も若きもなべてちやうらう

「佐々若狭元輔、所持の釜蛙と云へるを召げられ、後に又返給ふとて」

  • 売りもせずかはずと聞けば此釜の 本のぬしへぞかへるなりける

「鐘を買たるよしいふ者ありければ」

  • むしやうやな誰がしょぎやうにて此鐘を めつぽふかいに売りにけるかな

  • 梅の花あかぬ色香を弥益しに 尚ほのめかす庭の春風
  • とこ夏の名に準(よそ)へて万代を 掌にや結びとめてき

361首

感想

『政宗記』の詩歌を載せた章で、成実は「たくさんあるので、いちいち上げていたら長くなるのでここらやめます」と早々に切り上げているのですが、たしかにその気持ちがわかりました…多いわ…。

*1:歌の宿題は兼題と言ったが、それに対して即席の作家を探題という

*2:政宗の子右衛門太夫宗高に殉死した権七の父

『名語集』11:能見物の仕方

『名語集』11:能見物の仕方(能見物の仕方)

原文:

一、或時の御咄に、「かりそめにも能などは易からぬ儀なり。太夫翁をかけ、惣役者烏帽子著る事、唯常の事になし。第一、我が身の祈祷なれば、身をきよめ、行儀よくして、座敷中高聲もせぬ様に、三番四番までは、よくじっとして見物せよ。其の後は、気が退屈せぬ様に、能の間々休息して、見物をせよ。見る内は面白きにかかり、身の草臥も知らぬなり。能過ぎては、何事にても打寄りて、一笑いして、また其の草臥忘るる様にせよ。惣別、見物何事にも、草臥直さぬ故に、重ねて見物にあるきを好まぬ物なり。それは心持下手故」と、御咄遊ばされ候事。

地名・語句など:

かりそめにも:少しでも、ほんのちょっとでも
草臥(くたびれ):疲れ、くたびれ

現代語訳:

あるときはこのようにお話になった。
「能などは、ほんのちょっとでも易からぬものである。太夫が翁の面をかぶり、すべての役者が烏帽子を着ることなど、通常の様子ではない。
第一、私自身の祈祷であるので、身を清め、行儀をよくして、座敷の間は大声もたてぬようにして、三番、四番まではじっとしてよく見物しなさい。そのあとは、気持ちが退屈しないように、能の間間に休息を取って、見物しなさい。見ている間に面白いところに入り、身体がくたびれているのも気づかないほどである。能が終わったら、何事であっても集まって、ひと笑いして、またその疲れをわすれるようにしなさい。
総じて、何を見るにしても、ものを見続けるのを嫌う者がいる。それは疲れを直さぬからであり、心がけが下手な人であるからだ」

感想・メモ:

この項は能を見るときの心得についてです。
政宗が能見物を好んだことはよく知られています。ここには書いていませんが、家中で能をする際は見物人も長袴をはき、正装して見物していたとあります。
能といえば、政宗の奇行として能役者脅迫事件の事件が広まっていますが、あれはどうも能役者やほかの家中に対するパフォーマンスではないかと思っています。家中で能やってるときはめっちゃマジメに見ているので…。
一方で成実も能に関してはいくつかの逸話や重要な事項があります。
能楽と郷土を知る会さんのブログに記事が載っていますので、ぜひぜひお目通しください。成実の謡本は能楽史上わりと重要らしいのですよ!!!!
https://nohgaku-kyodo.com/tag/date-shigezane

『名語集』10:刀脇差のたしなみ

『名語集』10:刀脇差のたしなみ(刀と脇差の嗜み)

原文:

一、或時の御咄に、「惣別、刀・脇差は、昼夜に限らず、まして気などの重き時は、幾度も抜いて見てぬぐひ、鼻と手にあてなどしてさしたるは、心地よき物なり。人の刀に、焼のよきと聞いては、うらやみ、我が刀・脇差のうち、焼のよき物は、身を放ちがたくして、捨つべき事なし。尤も男の命なれば、秘蔵するこそ尤もなれ。常にたしなまぬは油断なり。さて又、奉公人の刀・脇差善悪の心掛、常に見たきものなれども、ついでなきにはとおもひ、余所より帰るさなどに、酒心をかづけにして、諸人の刀・脇差みるは、たしなみ・ぶたしなみの為なり。定めて下々にては、酒の上にては、例のくせ事と申すべけれども、さはなきぞ。尤も、似合はしき身の上などある衆は、其の役に拵へさすべきか。無足なる者、徒衆などは、拵へさすべきたのみなければ、自分ぶたしなみのあるは道理なり。さあれば、第一、我が為ならず。夫々に拵へとらせ、又人によりて褒美するが、身に過ぎたる刀・脇差持つ者、猶以ての外なり。たとへ、見物は見苦しくとも、刃を一入に持ちたるは、一入深き心なり。身にあはぬぶたしなみは曲事いふに及ばず。不断身近き衆、又徒衆などは、我が指刀同前なり。かやうに節々見る事、我が為といひながら、第一、其の身その身の為なり。たしなみのよき者につれて、自らぶたしなみ者も心付くなり。たしなめば、底臆病にても、上は見えず様子一種なり。其の心掛朝夕あれば、人もすねて、あなたこなた、一段とよき事多し。万事しかけにあるなり。只おどしかすめするは、物の仕置にてはなきなり。主なれば、無理におぢよおぢよ、法度きけきけとておしかすむる人は、後には下々癖になり、結句、主なし家中のやうになるなり。おぢらるるも、法度を聞くも我がしかけにあり。第一は、手の内つまりて、十に九つはきくまじき」と、御咄遊ばされ候事。

地名・語句など:

惣別:総じて、概して、おおよそ/すべてのこと
定めて:きっと、さぞかし、おそらく
無足なり:奉公しながら領地を与えられないこと
一入:一段と、いっそう

現代語訳:

あるときはこのようなことをお話になった。
「総じて、刀や脇差は、昼夜に限らず、まして気が重いときは、何度も抜いて、見て、拭い、鼻と手に当てるなどして差すのは、心地のよいことである。
人の刀で、焼きのよい刀であると聞いてはうらやみ、自分の刀や脇差のうち、焼きのよいものは身から離すことが難しくて、捨てるべきではない。
もっとも、刀・脇差は男の命ともいえるものであるから、秘蔵することが理にかなっている。常に愛好しないのは、油断である。
さてまた、奉公人の刀や脇差に対する善悪の心がけは、常に見たいものであるが、何かの機会がないならばと思い、余所から帰るときなどに、酒の席のついでにして人々の刀や脇差を見るのは、刀への興味の為である。
だいたい下々の者は、酒の席の事であるから、いつもの冗談というのかもしれないが、それは違う。もっとも、相応しき身分の者たちは、その役に合わせて差すべきだろうか。
無足の者や徒衆などは、拵えをさせるべき伝や余裕がないから少し手入れがなっていないことがあるのは仕方がない。そうであれば、それは自分のためではない。それぞれに拵えをさせ、また人によっては褒美として与えるが、自分の身の丈に過ぎた刀や脇差を持つ者は以ての外である。
たとえ、見かけはよくなくても、刃を綺麗に保っている者は、深い心がけのある者である。身に合わない不調法に関しては、わざわざ文句をいう必要も無い。普段近侍している者たちや、徒衆などは、私の刀であるも同前である。
このように折に触れて刀を見るのは、私の為といいながら、一番に、その人その人のためである。嗜みのよい人に影響されれば、嗜みのないも者も気を付けるようになり、きちんとするようになる。
気にするようになれば、根は臆病であっても、表面上は見えず、よいように見える。
その心がけを朝夕毎日していれば、いろいろなことに一段とよいことが増える。物事はすべてやりようによるのである。
ただ、脅してかすめ取ることは物の懲罰としてはしてはいけない。主であれば、無理に献上せよ献上せよ、命令をきけきけと押しかすめる人は、のちにはよくないくせになり、結局主のいない家中のようになってしまう。献上されるのも、命令に従うのも、私のやりようによる。一番には、心の中で決めているたくらみによって詰まっても、十のうち、九つのことは聞くべきではない」

感想・メモ:

刀・脇差の話が続いています。政宗は近習や家臣たちのそれぞれの刀がどのようであるか、酒の席でチェックしていたようで、面白いですね。
ちょっと「おぢる」の意味がわからなかったので意訳しましたが、「おづ(怖れる)」の変化系かな…? 勝手に「(献上せよと無理強いしているのを)怖れるな」と訳しましたが、正しいの御存知な方いらっしゃったらどうかお教えください。
鼻や手に当てると気分がいいというのは、おもしろいですね。他人の刀の焼が気になったりしているのも。