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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

『たたかう神仏の図像学』伊達家関連記述

伊達家お仲間のしぎのさんからお借りした本。勝軍地蔵と中世社会をテーマにした論文集です。
坂上田村麻呂伝承記述があればいいなあと思って読んだのですが、中世の武士の精神史をめぐっての議論が多く、とてもおもしろかったです。忘れそうになりますが忘れちゃいけないのが、政宗たちは近世人というよりは中世人であるということです。
愛宕神社に関してのくだりで伊達家に関する記述がありました。

③仙台伊達氏と片倉家
仙台愛宕神社は、永禄年間に伊達晴宗が誓願寺尊勝に命じて本地仏を安置したのを中興としている。正徳五年(1715)になって、仙台藩五代藩主吉村が木像と絵画、自筆額を寄進した。伊達家の重臣片倉小十郎家は、とりわけ勝軍地蔵信仰が篤かったことが指摘されている。仙台市博物館所蔵黒漆五枚胴具足は、兜の前立に「愛宕大権現守護所」の文字があり、片倉重綱が大坂夏の陣に際して着用したものとされる。戦後、京都愛宕社に参詣した重綱が奉納した絵馬が現存し、片倉家領であった白石市周辺には愛宕社が点在します。

『名語集』4:無体とぬるきことを嫌ふ

『名語集』4:無体とぬるきことを嫌ふ(むやみに判断が遅いことを嫌う)

原文:

或時の御咄には、「人は、只第一、無体とぬるき事嫌ふべし。上下共に、心に慇懃を絶やす事なく、ぬるき事なき様に仕り、拍子抜けぬ様に、何事によらず実にとすれば、見たる所もよし。何と引出しよくとも、がさつにて浅き立振廻、結句、不拍子なるは、なかなか詞に述べ難し。いはんや若き者などは、火に入れ水に入れといはば、其のまま受けて走り懸るを、先にて止めさする程の勘は気味よきぞ。若き者などが分別だてをし、物事侫人をつかひ、軽き事を嫌ふは、沙汰のかぎりなり。分別も工夫も、用ふる所定まりてあるぞ。たとへば、行先に仕合事などあるに、軽き者は、其のまま走り懸るに、分別だてせんや。死ぬ所へ分別して行くべきや。其の者は心知れたり。それならば、主の用にも立たず。若き者などには言外なり。或は、朝夕友つき合にも、一二度はよからん。三度とならば、友だちもいやがる者多かるべし。只、何事にもよらず、其の家の主人好くかたぎ、又何に限らず主の好くものにはなりがたくとも、心を付けよ。第一は其の身の為なり。我等七旬に及びけれども、何事も若き者どもに負けじと思ふが、又年嵩のいる事は、別にあるぞ。朝夕、真中ばかり歩きてならぬぞ。我れ若年の心うせず、人さへ許さば、今も出づべけれども、其の抑へは年なり。只、若き者などは、何ぞ人に変わりたる事せんと心持、尤もなり。若き時は、悪事すれども許す事多し。それ故、召使ふ小姓などは、前髪早くとらすれば、不断召使にもよきなれども、前髪いまだ有りと思へば、悴よりの心地離れずして、気遣なし。同じ頭にても、前髪なければ、おとなしやかに思ふにより、はや其の心違ふなり。第一、其の身の為によき事には、年行きても前髪有れば、いかなる悪事をも、前髪有りて若輩故と、許す所多し。尤も良き事すれば、また若輩者なるが奇特と、人もほめとりなし、前髪なければ、それもなし。何に付けても善き事には入りかぬるものなり」と、御咄遊ばされ候事。

語句・地名など:

ぬるし:鈍感。鈍い。きびきびとしない。
慇懃:心を込めて念入りにする/親しく交わること/極めて礼儀正しいこと
なかなか:中途半端である/かえって、むしろ

現代語訳:

あるときのお話では、
「人は、ただ第一に、むやみにきびきびしていないことを嫌いなさい。身分のあるものないものもともに、何事も丁寧に念入りにする気持ちを絶やすことなく、のろのろとすることがないようにし、勢いがぬけないように、何事においても良い結果になるようにと心懸ければ、見かけもよい。
たとえはじめがよくても、がさつで思慮のない立ち居振る舞いをし、結局拍子外れになってしまうことは、中途半端でことばにしずらい。
ましてや若い者などは、火に入れ、水に入れといったならば、そのまま受け取って走ろうとするのを、前もって止めさせるくらいの考えをもっていることはよい。
若者などが分け隔てをして、ものごとを解決するのに人に媚びへつらい、重要でないことをするのを嫌がるのは、以ての外である。分別も工夫も、使うところは決まっているのである。
たとえば、行き先にもめ事などがあったとき、軽い者は心のまま走りかかり、わきまえることはしないだろう。死ぬところへは分別していくべきでろうか。その者はよく分かっている人である。それならば、主の用には役立たない。若者などにたいしてはいうまでもない。
あるいは、朝夕と付き合うにも、一度や二度はよいだろうが、三度ととなれば、友達も嫌がるものがおおいであろう。ただ、何事にもよらず、其家の主人が好む性質、また何に限らず主の好むものになるのは難しくとも、そうなれるよう心懸けるようにせよ。
一番にはその人自身のためである。私は70の年になってしまったが、何事も若者たちに負けないようにとは思うが、また年長の者が必要な場面は他にある。朝夕、道の真ん中ばかり歩いてはいけない。私は若い頃の心がなくならず、人さえゆるすならばいまもその頃の気性が出るけれども、そのとき抑えとなるのは、年齢である。
ただ、若者などがなにか人と変わったことをしたいと思い立つ気持ちになることは、当然である。若い頃は、悪いことをしたとしても、許すことが多い。そのため、召使う小姓などは、はやく元服すれば、常の召使いにふさわしいが、元服もせず前髪がついたままだと思うと、子どもの頃からの気持ちになってしまい、気遣いがない。同じ頭であっても、前髪がないなら、大人のように思うため、もうはやその気持ちは変わってくる。
第一、その人のためによいことは、年がいっても前髪があれば、どんな悪事をしても、元服もしておらず若輩ゆえと許すことが多い。そして良いことをすれば、また若い者であるのに、めずらしいと人も褒め、とりなすだろうが、元服していてはそれもない。何に付けても良いことにはなりかねるものだ」
とお話なされた。

メモ:

政宗の家臣の扱い方についての章です。
前回の利口な人とそうでない人と同じように、勢いがある若者とそうでない者とを比べ、どちらかが悪いというのではなく、それぞれに必要な場所があること、若い者に対して、若さゆえのいろいろが許されることもあることを述べ、若年者は勢いを、そうでない年配の者には思慮を求めるような考えを持っていたようです。

『名語集』3:召使の利鈍

3:召使の利鈍(奉公人の利発なことと愚鈍なこと)

原文:

一、或時の御咄には、「世上にて人々の人を召使ふに、これは利根者、鈍なる者とて、分けて召使ふ。たとへば、当座の浪人者たりといふとも、物事、其の主人の気に入れば、これこそ利根者とて能くつかひ、代々の譜代たりといふとも、これは鈍なりとて、おし除けてつかはず。尤も召使といふとも品々多し。かりそめの口上をいひ付くるにも、長きことなりとも、右の利根者には一通りいひ聞かせ遺し、鈍なりとて、短き事をくりかへし、手間をとり教へ遺す。げに尤もこれは面白さうに聞こえ侍る。然れども能く分別して見よ。一国をも持つ大将の心に能き事が、家中の為によからんや。当座、気にあはぬ見ぐるしき事とて、代々の者、其の品もなしに押しのくる事、これ以ていはれなし。人おほくは、其の身その身に似合ぬ心付こそならずとも、親しく詞を掛け、秘蔵せぬは勿体なし。或は当座の事たりといふとも、其の主人に対するほどの儀あるに、利根なる者ばかり用に立ち、鈍なりと目利する者、用に立ち申すまじく候にや。いかに鈍なる者なりとも、代々かぎらぬ侍が、底までも鈍なりとも目利せんや。結句、利根と秘蔵せらるる者の、慣れつまっては鈍になるは疑あるまじきと思はる。身のあつくなるほど、心持かはるべし。よくよく試して見よ。鈍なりと目利きせられたる者は、代々を思ひ、義理にてするもやあるべし。又人によりて、日頃の意地出るも有るべし。当世にても、是は何とも分けがたし。かやうの事、我等には下手なり。刀・脇差其の外、諸道具の目利とは、格別なり。人を分けるの目利は無類の事かな。いかに当座、気はたらかずとも、代々の侍は、はたらく所、別にあるべし。たとへば、おしかすめて置くとも、上ぐる所はおほからん。磯の千鳥を見よ。浪あらきとて、山に住む事なし。いかに手当あしくとも、代々の侍が、主を脇にはなすまじきなり、我等などは下手なる故か、世上の様子には相違なり。先づ、人を鈍・利などといひて、分けべき者一人もなし。すぐれたる利根者、すぐれたる鈍なる者とては、此の年までは一人も見ず。たとへば、利根者使ひつけて、其の者なき時は、鈍なるとて使はずしてあるべきか。人に余るといふ事、あるまじき儀なり。何事も主人のしかけにある事なり。只人は其の身その身のえものを、能く見分けていひつけて見よ。何れも得しょくはこざかしく致さん。しかあれば、一人として怨みする者もあるまじければ、主人の為に大きなる徳なり。徳あれば、主も名をとる事多し。只、人を捨つるはあしきなり。尤も為いで叶わぬ事は格別の事なり。我等などの心には、当座の口上いひつくるにも、我が詞のおひはてぬに、返事心ある者には、二度も三度もいひつけて、静かに返事する者には、一言にいひ付くる様に一通り申付け候。是にも品々おほし。たとへば、詞の下より返事する者は、方々へ心をかよはし、或は返事あまさぬ様にとおもひ、詞のすえを聞くべしとおもひ、あなたこなたと弾みまはる故、さきへばかり行くにより、ながき短き口上によらず、はやあとを取り失ふものなり。さるによって、二度も三度もいひ付けて、静かに能く聞く者には、とくと合点よくする様にいひ付けつかはす。其の人は、長き事を一度申付けても、合点よくする故、其の身の分ほどとりまはすなり。まして外様衆などは、あまりにこなたを恐れ過ぎ候故、かたの如くいひ付けたると思へども、猶以てゆかしきまま、其の人に伝へん者を以て、今の品々はかくの如くなりと、重ねて又いひ聞かせ候。我が身、当座のむづかしきとて、粗相に事をいひ聞かせては、其の者うかうかしき故、先にて用もはたらかず。第一は其の身の為なり。我等いひ付くる間に、聞きわづらふか、又は不合点なる事あらば、幾度もおしかへしてよく聞きて合点せよ。押返し聞くほど、こなたは嬉しきぞ。ここを気遣ふは、こなたを敬ふにもなきぞ。恐れてあしき儀なり。只、人に怪我なき様に、用も叶ひ候様にとばかりの心持なり」と御咄なされ候。

語句・地名など:

利鈍(りどん):利発なことと愚鈍なこと
世上(せじょう):世の中・世間/あたり一帯
利根者(りこんもの):利発な賢い人
当座(とうざ):その場・その席
品々(しなじな):さまざまなものがあること/そのもの
尤も(もっとも):道理にかなっていること/ただし〜

現代語訳:

あるときのお話では、
「世間で人々が人を召し使うときに、こいつは利口なもの、こいつは愚鈍な者と、態度をわけて召し使う。たとえば、そのときかぎりの浪人であっても、その主人の気に入れば、これこそ利口な者としてうまく使い、代々仕える譜代の者であっても、これは鈍い者であるとして、どかせて使わない。
ただし、召使いといっても、いろいろな者がいる。短い伝言を言いつけるにも、長い内容のものであっても、右の利口な者には一通りいいきかせて伝え、鈍い者に対しては短いことをくりかえし、手間をかけて教え伝える。これは本当に面白いことのように聞こえる。しかしながら、よく分けて考えよ。一国を所有する大将の心がまえによいことが家中のためによくないことがあろうか。
最近、気に合わない見苦しいことといって、代々使える譜代の者が、その品格もそなえず、人押しのけることは、いいことがないやりかたである。多くの人はその身その身に似合わない気遣いこそなくても、親しくことばをかけ、大事に扱わないことはもったいない。
あるいはその席かぎりのことであっても、そのあるじに対するほどの事があったときに、利口な者ばかり仕事をし、愚鈍であると思う者が仕事をしないということがあろうか。どれほど愚鈍な者であろうとも、代々使えてきた侍が、そこまで愚鈍であると思えるだろうか。
結局、利口と大事にされた者が、慣れきってしまって愚鈍になるのは間違いないと思われる。昇進するほど、気持ちはかわるものである。よくよく試して、判断せよ。愚鈍であると判断されたものは、代々を思い、するべきことをやることもあるだろう。また人によって、日頃の心根が出ることもある。
近頃であっても、これは何とも判断しかねる。このようなことが、私は下手である。刀や脇差、そのほか道具の目利きとはまったく違うものである。人を判断することは何よりも難しいことである。どんなにそのときに気が働かずとも、譜代の者が役に立つところは他にもある。
たとえば無理矢理にかすめとって置いておいても、役に立つことは多いだろう。磯の千鳥を見てみよ。波が荒いからといって山に住むことはない。いかに手当がわるくとも、譜代の侍が主を脇にするべきではない。
私などは下手なためか、世間の様子とは違う。
第一に、人を愚鈍・利口といって、分けていい者はひとりも居ない。人並み外れた利口者や愚鈍者など、この年までひとりも見たことがない。たとえば、利口な者を使い、その人がいないときは、愚鈍だからといって、使わないということがあってはいけない。人が余るということはあってはいけないことである。なにごとも、主人のやりようによることである。
ただ、人は、そのひとりひとりの得意なものを、よく見分けて命令してみればいい。どの人も納得した仕事は抜け目なくするであろう。ならば、ひとりとして人を恨むような者がなければ、あるじのためには大きな得である。得があるなら、あるじも名誉を得る事が多い。理由もなく人を捨てることはよくないことである。しかしながら、やってみてできないことは別である。
私のようなものの心がけとしては、さしせまっての言いつけをするにも、私のことばが長いので、返事をよくする者には二度も三度も言いつけ、静かに返事する者には一言で言いつけるようにひととおり言う。これも人によってさまざまなことがたくさんある。
たとえば言ってすぐに返事する者は、いろんなことを心配して、あるいは全部返事をするように話の終わりを聞かねばと思い、あちらこちらへと話がとぶので、先の話ばかり気にするため、長いもの短いものによらず、失敗してしまう者である。なので、二度も三度も言いつけて、静かに聞く者には、しっかりと理解するように命令して伝える。その人は長いことを一度で言いつけてもしっかり了解しているので、その身分に応じてきちんとする。
まして外様衆などは、あまりに私のことを恐れるので、このように言いつけたと思っても、相変わらず昔のままにしようとするので、人を遣わして、今の様子はこのようであるからと何度も言い聞かせている。
私は、さしあたって難しいときだからといって、あわててものを言ったなら、その者は思慮が浅いため、先々もきちんとできない。一番には、その人自身のためである。
私が言いつけているときに、聞き損ねたり、または理解できないことがあるときは、何度もくり返してよく聞いて理解せよ。何度もくりかえし聞かれるほど、私は嬉しく感じる。ここで気を使うことは、私を敬うことにはならないのだ。大変こわい、悪いやり方である。ただ、人が傷つかないよう、こともうまくいくいくようにと思う気持ちである」
とお話された。

メモ:

人を使うことに対する政宗の信条を語った一段になります。
普通の人は利口な人・愚鈍な人とわけて扱う人が多いが、自分はそうは思わず、こうしている…という話です。
「自分は下手であるから〜」と謙遜していますが、利口そうな人でも、鈍そうな人であっても一長一短あり、きちんとその人の適性を見抜いて使うことが大切である、と述べています。

『戦国合戦のリアル』伊達家関連記述

表紙が政宗の鎧なので、伊達家の話たくさんあるかなと思ってたのですが、あまりなかったので残念です。
でもそれなりに記述はありましたので、引用。

114p 鉄砲隊が増えるのに対して、槍兵が減らされていった話。
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115p 同じく鉄砲隊に比して弓兵の少なさが突出していた話。
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116p 旗持ちが減らされていった話。
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304p 「首獲り」が思われているほど重要ではなかった話。
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などが載っていました。
時代の移り変わりにつれて戦い方・軍備の変化が起こっていたことを示していますが、特に伊達家はいくつかの点で少し変わったところがあったというのは事実なようです。

『性差の日本史』伊達家関連記述

2020年10月から12月まで、国立歴史民俗博物館にて開催されました「性差(ジェンダー)の日本史」展。
その図録と今年になってから発売されました『新書版 性差の日本史』に、伊達家の記述が載っていたので、引用してみます。

「ここでは、仙台藩伊達家上屋敷の奥女中の誓詞を見てみましょう。図5-5は老女の音羽、菅野、浜野の三名が奉公する際に提出した、血判を押した誓詞です。男性役人と奥女中の共通性を示しているものといえるでしょう。」
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『新書版 性差の日本史』115p

「奥方の政治的な役割
 では、奥向奥方の政治的な役割はどこにあったのでしょうか。一つは、表向と同じように、奥の儀礼や大名間の交際などを滞りなく行う役割を持っていたことです。仙台藩の奥方からは、御城使(おしろづかい)と呼ばれた奥女中が将軍家大奥に派遣され、大奥女中のトップである将軍付の老女に対面し、将軍や御台所への御目見えが許されることもありました。奥女中が、大名家の奥と将軍家大奥の交際を支えたともいえるでしょう。
(中略)
もう一つの政治的役割は、男性当主がその役割を十分果たせない時に、大名の妻がその役割を代行するところにありました。図5-7の七代目の仙台藩主・伊達重村の正室観心院(かんしんいん)(近衛惇君)という女性は、藩主たちが相次いで亡くなり、伊達家が危機に陥った際に、強い指導力を発揮して危機を乗り越えました。中世、夫の死後に家長として家を支えた北条政子や寿桂尼のような存在は、近世においても健在でした。」
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『新書版 性差の日本史』116p

『図録版 性差の日本史』164p
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168p
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政宗の時代よりあとの時代ですが、奥方・奥向が外交・社交を司っていたことがわかる資料です。

2021夏御霊屋御開帳情報(行ってません)

コロナ禍で行われましたが、説明会があったそうです。もちろん関西住まいの私は行けなかったのですが、行かれたフォロワーさんから情報をいただきましたので、今までの情報にプラスして、新しくわかった話をupさせていただきます。内容は配布されていたレジュメ参考。
これまでの記事でも触れていた稙宗のものと思われる位牌についての説明は割愛しますので、過去記事参照。

実元御霊屋保存復旧工事によりわかったこと

  • 屋根とまわり縁部分は数回補修されているが、柱と壁板は創建当時のものと考えられる。
  • 建物土台には固くて腐りにくいクリ材、柱やまわり縁にはヒバ材が使用されていた。
  • 雨風が入りにくい造りにしている壁板材が、東西で天地逆さに入っていた。理由は不明。創建当時からの間違いだった可能性がある。
  • 建物内部の棚は後世に作ったものなので、今回の修復で取り外した。
  • 屋根は当初他の御霊屋と同様茅葺きで、数回の修復を経て現在の銅板屋根になったとみられ、当初の形状に比べて反りが出たり、降り棟や鬼板がつくなど、時代と共に変化していったと考えられる。

今後の保存と整備

実元御霊屋については屋根の老朽化により雨漏りや破損の可能性があるので、古写真や修理歴などを参考にできるだけ早く建立当時の姿に戻す修理を行いたい、とのこと。

伊達家歴代墓所復旧支援金

地震により倒壊・破損した墓石などの復旧工事に充てられるそうです。
令和3年8月20日〜令和4年3月31日
3000円以上の支援金振込した人、募金をした人にはオリジナルグッズが送られる模様。

ゆうちょ銀行/二二九支店/当座
口座番号:0145272
記号番号:02290-2-145272
伊達家歴代墓所復旧支援金

私も微力ながらいくらか振込みたいと思います。