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伊達家家臣・伊達成実に関する私的資料アーカイブ

2018-01-01から1年間の記事一覧

『政宗記』4-4:大内備前政宗前相済ける事

『政宗記』4-4:大内定綱、政宗との対面をすませたこと 原文 同年三月二十三日に、玉ノ井にての競合相過、成実二本松へかへりければ、右より申し合せの大内備前・片平助右衛門、伊達へ参るべきを待んとて、片倉景綱二本松へ出向ふ。爾る処に四月五日の夜、鍛…

『政宗記』4-3:成実領地草調儀之事

『政宗記』4-3:成実領地での草調儀のこと 原文 されば奥州の軍言ばに、草調儀或は草を入る、或は草に臥、亦草を起す、扨草を捜すと云ふ有。先草調儀とは、我領より他領へ忍びに勢を遣はすこと、是草調儀といへり。扨其勢の多少に依て一の草・ニの草・三の草…

『政宗記』4-2:大内備前手切之事

『政宗記』4-2:大内定綱の手切れのこと 原文 かかりける処に、仙道安積の郡太田・荒井・苗代田とて、二本松より隔りけれども、二本松の領分なり。故に義継生害の一乱にも、三ヶ所の民ども迄、方々逃散しあき地となる。爾して後政宗二本松を手に入給ひ、成実…

『政宗記』4-1:大内伊達へ望之事

『政宗記』4-1:大内定綱伊達への転身を望むこと 原文 天正十五丁亥の年、政宗二十一歳のとき、最上・大崎へは軍なれども、安積表は先何事なく静謐の分なり。かかりける処に、会津より大内備前、成実処へ申しけるは、「四本ノ松一宇打明ける事別に非ず、会津…

【感想】能『摺上』

思い起こせば、戦国時代・江戸時代の能の歴史を研究してらっしゃる柏木ゆげひさんから「そういえば、成実がシテ(主人公)の能があるんですよ」とお教えいただいたのが、2012、2013年頃のこと。 「ええ〜それはすごいですね」といいながらも、ずっと上演され…

2018夏北海道

成実生誕450年の夏!平成最後の夏!このビッグウェーブに乗らずに何としようか!ということで二泊三日で北海道伊達市に行ってきました。今回で3回目です(昔のをいれたら4回目です)。 1日目(7/21) 37,8度を超える、灼熱の大地から出発です。関空発。 大雄…

成実生誕450年関連イベント【追記あり】

能「摺上」上演 政宗の次は成実の生誕450年!ということで北海道伊達市にてイベントが行われるそうです。 何があるのかな〜と思いきや!能です!しかも「摺上」!! 成実がシテ(主人公)で合戦を語る能!! 語り部であり、伝える人である成実の生誕450年に相応…

『伊達日記』群書類従版・目次

『伊達日記』群書類従版・目次 解題 伊達日記(合戦部22 巻第390)第21輯 (群書解題第4巻 続群書類従完成会『伊達日記』解題(遠藤元男)より抜粋) 戦国時代後期の伊達氏を中心とした戦記物。三巻。 【書名】作者の名をとって「伊達成実記」とも「伊達成実…

忠宗の心配-成実晩年の容態について-

義山公治家記録の成実の隠居・死の記事を読んでいて、そういえば亘理伊達家史料集に忠宗からの優しい手紙がいくつかあったな、と思いだし、改めてきちんと訳しながら読んでみました。 これがとっても優しい文言にあふれてて素晴らしいのです。 時系列を追っ…

『正宗公軍記』1-1:正宗公十八の御年、御家督御継ぎなされ候事

『正宗公軍記』1-1:政宗公が18歳の時、家督を継がれたこと 原文 伊達大守輝宗公御代は、佐竹・会津・岩城・石川、何れも御一門中間にて御入魂に候。右の御大名衆、数年、田村へ御弓矢なされ、田村清顕公御手詰に罷成候。正宗公の御舅に御坐候へども、輝宗公…

『正宗公軍記』軍記類纂版・目次

『正宗公軍記』軍記類纂版 解題 正宗公軍記 二巻 本書は、伊達政宗が、奥州に於ける軍事を記したものなり。内容は、政宗十八歳にして家督を継ぎ、付近の大名を切従へ、数度の合戦に勝利を得、結局政宗一人、威を東北に振ふ次第を記したり。此の書、黒川蔵写…

北海道の成実生誕450年関連いろいろ

心の伊達市民制度の案内が来て知ったのですが、開拓記念館改めだて歴史文化ミュージアムの開館が今年秋予定だったのが、来年春に延期してしまったそうです…(しかもそれ10月の記事だった…)。 あ、秋にいくはずだったのに!と思っていたら、複数のフォロワー…

『政宗記』3-11:黒川月舟死罪逃れらる事

『政宗記』3-11:黒川月舟斎が死罪を逃れたこと 原文 今度大崎との戦に、伊達の勢不手際なるは、黒川月舟逆心の故也。政宗重ねては先、月舟居城の黒川を押倒し、其れより大崎をと思はれけれども、大崎と取組玉へば、跡の如く佐竹・会津・岩城・白川、各本宮…

『政宗記』3-10:永江月鑑死附弾正誓紙

『政宗記』3-10:長江晴清の死と弾正が誓紙を提出したこと 原文 去ば月鑑は、相馬義胤の子舅なり、故に大崎下新田の合戦にも、月鑑人数は玉なしの鉄砲を打。此のこと政宗聞給ひ、居城の深谷は大崎境、況や義胤縁者といひ、亦も逆心危しとて、先秋保摂津守と…

『政宗記』3-9:最上より大崎へ使者の事

『政宗記』3-9:最上から大崎へ使わされた使者のこと 原文 最上義顕より野辺沢能登と云臣下を、大崎の蟻ヶ袋へつかはし給ひ、月鑑に対面して何と語りけるやらん、月鑑をば本の深谷へ相帰し、安芸一人能登同心して、小野田の城代玄蕃・九郎左衛門と云両人に渡…

『政宗記』3-8:月舟訴訟之事

『政宗記』3-8:黒川月舟斎の訴えのこと 原文 去程に伊達の二陣、上野・伊豆を始め、師山の南の畑に控へたりしが、先陣の者ども通り過して引付けんとて、先へ押通らんと進みけれども、切所の橋を引れ通りけること叶はず。あまつさへ桑折・師山両城の敵共、前…

あけましておめでとうございます!

もう三が日はあっという間に過ぎ、明日は七種がゆですが、おくればせながらあけましておめでとうございます。 昨年は政宗生誕450年、ということは今年は成実生誕450年です。 なんらかのなにか(それはなんだ)が予定されているということなので、狙って北海…