『政宗記』目次
(各記事内の「数字○-数字△」という表記はわかりやすさのために書いただけで、原文にはありません。○巻の△番目の記事というだけです)
解題
(『政宗記』解題【小林清治】より抜粋)
全12巻からなる伊達政宗の一代についての総合的な記録。巻一から巻八までは政宗の家督相続から文禄四年(1595)までを比較的詳細に記述し、巻九は文禄四年以後慶長五年(1600)関ヶ原役に至る事項を編年的に記述した前半部分と、慶長七年以後の一部の事項に簡単にふれながら、政宗の「慈悲深」さおよび「家来取立」のことを扱う後半部分から成る。巻十は晩年における政宗の日常生活および、侍臣僧侶等のそれを含め政宗の詩歌を収める。巻十一は能・茶・猟など彼の趣味に触れたのち、寛永十三年(1636)四月の江戸参府に及んでいる。巻十二はその死去と葬礼についてを収める。
『政宗記』の成立年代は各巻の奥書によって一応知ることができる。巻一・二・四・五・六・七・九は「寛永十三年丙子六月吉日」、巻三・八・十一・十二には、「寛永十九年壬午六月吉日(または吉辰)」の年月がそれぞれ奥書されている。
ともに六月に意味は?
巻一ー八のうち、内容・体裁が特に異ならない巻三と巻八が寛永十九年となっていること。
年月表記が各巻の成立を正確に示すものであるかどうかは検討を要する。
巻一:
巻二:
巻三:
- 3-1:安達郡渋川戦之事
- 3-2:二本松内通附政宗病気並出城之事
- 3-3:田村清顕頓死附政宗北方へ不和事
- 3-4:大越紀伊守出入之事
- 3-5:大崎陣之事
- 3-6:氏家弾正忠節之事
- 3-7:黒川月舟晴氏逆心附弾正気遣
- 3-8:月舟訴訟事
- 3-9:最上より大崎使者の事
- 3-10:永江月鑑死附弾正誓紙
- 3-11:黒川月舟死罪逃れらる事
巻四:
- 4-1:大内伊達へ望之事
- 4-2:大内備前手切之事
- 4-3:成実領地草調儀之事
- 4-4:大内備前政宗前相済ける事
- 4-5:石川弾正草入之事
- 4-6:会津働事
- 4-7:田村家老衆訴訟之事
- 4-8:義胤、田村取損給之事
- 4-9:大越退治訴訟之事
巻五:
- 5-1:安積郡山対陣事
- 5-2:陣場定事
- 5-3:須賀川衆先陣辞退事
- 5-4:窪田番手持附矢文事
- 5-5:岩城より無事扱事
- 5-6:最上より泉田安芸返し給事
- 5-7:三春番代附浪人払
- 5-8:岩城へ景綱使者附成実異見
巻六:
- 6-1:政宗落馬附片平忠節
- 6-2:片平手切附岩城手切事
- 6-3:大越紀伊守生害事
- 6-4:阿久箇島出城附高玉落城
- 6-5:宇田新地駒ヶ峯出城
- 6-6:常隆小野より佐竹・会津に進事
- 6-7:摺上合戦
- 6-8:田村警固事
- 6-9:会津家老忠節事
- 6-10:会津にて知行判之事
- 6-11:弾正望附新国上総降参事
巻七:
- 7-1:須賀川陣事
- 7-2:須賀川合戦附落城
- 7-3:政宗関東望附岩城武略事
- 7-4:政宗会津越年事
- 7-5:政宗敵対給大将衆事
- 7-6:太閤秀吉公小田原御発向
- 7-7:秀吉公御目見事
- 7-8:会津にて騒ける事附平田忠節
- 7-9:底倉矢田野欠落
- 7-10:会津米沢本意事
- 7-11:秀吉公奥州御下向附大崎葛西一揆事
- 7-12:須田訴人事
巻八:
- 8-1:政宗上洛之事
- 8-2:関白公奥州御下向
- 8-3:政宗都立之事
- 8-4:名護屋喧嘩之事
- 8-5:高麗立之事
- 8-6:赤国合戦附政宗御感状
- 8-7:名護屋御帰朝事
- 8-8:関白乱之事
- 8-9:伏見出附御御最後
巻九:
巻十:
巻十一:
巻十二: